御朱印の森

長谷寺(ちょうこくじ)麻布の長谷寺式観音

梅窓院から、外苑西通りを
西麻布に向かって歩き、
首都高速手前で、右に曲がり
住宅街を進むと、長谷寺がありました。
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山門をくぐって境内へ。

入って右手に、お城のような感じの
観音堂がありました。
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案内板で知りましたが、
今まで、長谷寺(はせでら)と
思っていたのですが、
こちらは、長谷寺(ちょうこくじ)でした(汗)
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永平寺といえば福井県にある
曹洞宗の有名な禅寺。

当寺はその東京別院ということでした。

中へ入ると、木造の大きな観音像がありました。
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右手に錫杖、左手に水瓶を持ち、
右足は半歩前進
(すぐ助けに駆けつけるの意)している、
長谷寺式といわれる十一面観音像です。

長谷寺式というと、

大和長谷寺(真言宗豊山派)10.18m
鎌倉長谷寺(浄土宗系単立)9.18m

が有名ですが、

当寺を合わせて、日本三大長谷観音と称されていて、
木造としては国内で最大級の大きさの観音像です。
高さ三丈三尺(約10メートル)
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今では一番の大きさですが、最初は大和長谷寺の
観音様と同じ木片から造られた、小さな観音様を
祀っていたそうです。

その観音様は、正徳6年(1716年)
2丈6尺の大観音を建立の際、
尊像を体内に納め祀りましたが、
昭和20年(1945)の戦災により、
焼失してしまいます。
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しかしその後、観音堂再建を願う人々によって、
重層入母屋造りの立派な観音堂が建立し、
現在に至っています。

御本尊である釈迦牟尼佛が安置されている
法堂(はっとう)にて参拝後、
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右手にある大庫院(だいくいん)にて、
御朱印を書いて頂きました。
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当寺は江戸三十三観音霊場の第22番札所になります。
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# by yagiou17 | 2017-04-23 01:09 | 港区 | Comments(0)

梅窓院 青山の地名ゆかりの青山家菩提寺

乃木神社からてくてくと外苑前駅まで歩くと、
駅前に浄土宗寺院 梅窓院がありました。
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金明孟宗竹の竹林の先には山門が見えます。
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山門をくぐり、境内へ。
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すると、とてもお寺とは思えない
空間が目の前に広がっていました。

諸先輩方のブログの画像で見ていて
知ってはいましたが、
実際にこうして訪れて建物を見ると、
どこがどう寺院なのか戸惑いました。
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どうしたらよいかわからないので、
山門をぬけた正面の梅窓院
受付に行ってみました。
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そちらで、御朱印を頂きたいことと、
お参りをしたいことを受付の
女性に告げると、御朱印は、御朱印帳を
こちらで預かってお書きしますので、
その間に左手に見える建物へ行って
ご参拝してください
と教えていただきました。

1階は観音堂で、2階は本堂になっているとのことで、
森は江戸三十三観音(当寺院は第24番札)の
御朱印を頂きたく訪れたので、観音堂はもちろんですが、
御本尊の阿弥陀如来もお参りしに行きました。
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梅窓院は
寛永20年(1643)徳川家康の家臣、
青山幸成が亡くなり、青山家の下屋敷内に
建立したのが始まりで、以後、
青山家の菩提寺として
現在まで続いています。
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梅窓院という寺号は幸成の法名
「梅窓院」から寺院の名称に
なったと言われています。

ちなみに地名の青山は、
ここに青山家の屋敷があったことから
ついたと言います。
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その後、戦災による焼失や
老朽化による建替えなどありましたが、
平成16年に近代的な建物として
生まれ変わり、現在に至ってます。

参拝を終えて、受付にもどると
御朱印が書きあがっておりました。

御朱印には泰平観世音と書かれていました。
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この泰平は、奥州平定から来ているようです。

鑑真和上由来の観音像は、奈良東大寺大仏殿に
奉安されていたものを源氏の奥州討伐にあたり、
陣中護持の仏として、大切にされたもの。

そのご加護か、奥州の地がおさめられ、
平和になったことから、
泰平観音と呼ばれるようになった
そうです。

観音像は巡り巡って、現在は青山家の手に渡り、
こうして御祀りされるようになりました。

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# by yagiou17 | 2017-04-19 22:33 | 港区 | Comments(0)

乃木神社 一途な思いを永世に

豊川稲荷東京別院から、
乃木坂駅へ向かって歩いて
乃木神社へ行きました。
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行ってみるとちょうど
神前結婚式の最中でした。

乃木神社の御祭神は
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乃木希典命(のぎまれすけのみこと)
乃木静子命(のぎしずこのみこと)

大正元年(1912)9月13日
乃木夫妻は明治天皇崩御に
殉じて自刃を遂げられました。

乃木夫妻の明治天皇に対する「忠誠」

夫婦共に最後まで添い遂げた
お互いの「忠誠」

その一途な思いを永世に
伝えようということから、
翌年、東京市長である
阪谷芳郎が先頭に立ち、
乃木将軍を慕う同志が
集まって、中央乃木会を設立。

乃木邸内にご夫妻の御霊を祀りました。

と、このような経緯を思えば、
神前結婚式を行う神社として
これほどふさわしい
神社はありませんね。
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その後、大正8年(1919)
乃木神社創立が
許可され、明治神宮の鎮座の後、
大正12年(1923)11月1日に
乃木邸の隣地にて鎮座祭りが
斎行されました。
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現在の拝殿は、空襲により
焼失してしまいますが、
昭和37年(1962)9月13日に
再建されたもの。
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参拝を終えて、拝殿右手前に
ある社務所にて
御朱印を書いて頂きました。
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帰るときに、旧乃木邸というのが
気になり寄ってみました。
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札には裏門と書いてありましたが、
一番神社に隣接してるので、
こちらから入りました。
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案内板などによると、旧乃木邸は
乃木将軍がドイツ留学中に見た
フランス軍隊の建物を模範にして
建てたそうです。
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明治天皇に従って殉死するまで
ここに住んでいました。
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その後、遺言により東京市に
寄附となったそうです。

庭木も豊かな中庭に、
乃木大将と辻占売り少年の
銅像がありました。
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明治24年(1891)
用務で金沢に訪れた乃木希典が、
当寺8才の今越清三郎に出会い、
生活のために辻占売りしている
姿に感銘を受け、少年を励まし、
金弐円を手渡しました。

今越少年は、激励を受けたことで奮起し、
後に金箔師として大成したという美談を
モチーフに作られた像でした。

この中で、辻占(つじうら)売り
という聞きなれないフレーズが
気になり調べたところ、
読んで字の如く、辻(交差点)で
占うということですが、占いの紙が入った
煎餅を売るというのが、
有力な説のようです。

占いの紙が入ったお菓子というと、
フォーチュンクッキーを連想しますが、
もとは、辻占煎餅から派生したものだと
言われているそうです。

さて、そろそろ次の神社仏閣に
向かわねばと出口を探したのですが、
結果的に表門から出ることになりました(^_^)
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# by yagiou17 | 2017-04-17 23:21 | 港区 | Comments(0)

豊川稲荷東京別院 出世の御利益が期待できるお寺

お寺用の御朱印帳を購入したくなり、
どこか都内できれいなデザインの
ものはないかと探したところ、
赤坂の豊川稲荷東京別院に
色取り取りの御朱印帳があったので、
行ってみる事にしました。
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赤坂見附駅を出て、青山通り沿いを
赤坂御用地に向かって歩くこと数分、
九郎九坂(くろぐざか)のそばに、
豊川稲荷の山門がありました。
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昭和39年(1964)東京オリンピック開催にあたって、
青山道りの拡幅工事が行われることになり、
それに伴って、境内も縮小工事となり、
現在の場所に移築されたという山門を潜ると、
緑豊かな、広々とした境内がありました。
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しばらく、境内を散策することに。
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境内では七福神めぐりが出来るようになっていて、
各神様のスタンプが設置されていていました。
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これなら数十分で巡れそうです(^_^)

他にも愛染明王が祀られていたり、
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奥のほうへ行くと、
お狐様がたくさんおりました。
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本殿へ行って参拝。
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御朱印を頂こうと、三所殿という、
お札やお守りを授与する施設に行きました。
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すると、こちらでは、御朱印帳を販売しているが、
書くのは、本殿右手にある稲荷会館という施設に
なりますとのことでした。

なので、まず三所殿にて御朱印帳を購入!
なんですが、どれも魅力的で迷います。

お願いして、全種類写真を撮らせて頂きました。
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今回はひし形模様のものにしました。

購入した御朱印帳を持って、稲荷会館へ
行き、御朱印をお願いしました。
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では、できあがりまで由緒でも。

稲荷というと神社というイメージがありますが、
こちら、豊川稲荷は神社ではなく、
曹洞宗のお寺です。

お寺なのに稲荷神を祀っているとは
どういうことでしょう?

稲荷神社の御祭神といえば、

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)

の2柱が有名ですが、豊川稲荷は
陀枳尼天(茶枳尼天・ダキニテン)という、
ヒンドゥー教の半女神に由来した神様です。
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後に仏教に取り入れられ、
白狐に乗る天女の姿から、狐=稲荷と
なって、日本で定着したようです。

その陀枳尼天が日本で広まったきっかけは、
第84代順徳天皇第三皇太子である
寒巌義尹(かんがんぎいん)禅師によるようです。
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仏法の深義を究めるため、宋国(中国)へ
渡りますが、2度目の入宋から帰りの船に
乗っていたとき、上空に陀枳尼天が現れ、
真言を唱えたといいます。

この事に深く感激した寒巌禅師は
その姿を刻み、護法の善神として祀りました。
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像は代々弟子に受け継がれ、
嘉吉元年(1441)6代目の弟子である
東海義易(とうかいぎえき)が、
豊川の地に妙嚴寺を開基の際、
陀枳尼天像を祀ったのが、豊川稲荷の
始まりとなりました。

その後「大岡裁き」で有名な
南町奉行大岡越前守忠相(ただすけ)が、
本山から分霊して、赤坂の自邸に祀りました。

現在の地に移されたのは明治の中頃。
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8代将軍徳川吉宗に引き立てられ、
旗本の頂点に立つ役職「町奉行」に
任命されるという、希有の出世を遂げた
大岡越前守にあやかろうと、参拝者が
絶えません。

とくに、芸能関係からの信仰は厚く、
ジャニーズ事務所のタレントの方たちもよく
参拝に来られるそうです。

御朱印、拝受いたしました。
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陀枳尼天は出世稲荷として祀っている
お寺もあるので、この御朱印があるだけで、
何か出世のご利益があるんじゃないかと
期待してしまいます(^_^)v

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# by yagiou17 | 2017-04-14 00:08 | 港区 | Comments(0)

千葉神社 妙見信仰の頂点に立つ神社は千葉県にあった!

千葉城を出て、大通りを北上。

途中、千葉氏中央区役所前を通り、
数分歩くと、千葉神社に到着しました。
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いきなり朱色がまぶしい楼門に圧倒されました。

HPなど画像で見てましたが、実際に見ると
とても綺麗で迫力があります。

扁額には尊星殿とあります。

これは千葉神社の御祭神である、
北辰妙見尊星王のこと。

北辰妙見尊星王は
天の中央(北極星)を司る神
というところから、
天之御中主大神と同一の神と
考えられてます。

この北辰妙見尊星王を熱烈に信仰しているのが、
千葉氏の祖である平良文でした。
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創建年代は不詳ですが、
御分霊が祀られたのが始まりで、
その後子孫の覚算大僧正によって、
伽藍整備がなされると、
第66代・一条天皇の眼病平癒の
勅願所となったこともあり、
『北斗山金剛授寺』なる寺号を賜りました。
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千葉神社の創建ということでは、
長保2年(1000)旧暦9月13日
というのが初出と言われています。

その後は千葉家7代常重により
大治元年(1126)御本霊を
千葉城よりお迎え、合祀したことで、
妙見様の本宮として、
多くの人々からの尊崇を集めましたが、

昭和20年(1945)の七夕空襲で手水舎以外、
灰燼に帰してしまいました。

昭和29年(1954年)には木造の本殿の
再建がありましたが、
更なる妙見様の御神徳をと機運が高まり、
平成12年の千葉神社開創1000年奉祝事業として、
半世紀ぶりに再建となりました。

楼門の中央には「福徳殿」という、
北辰妙見尊星王の御分霊を奉斎している
八角形の社殿があります。
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楼門と社殿が一つにまとまった
珍しいタイプの建築物となってます。
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境内は綺麗に均された砂利が敷き詰められ、
すっきり広々としてます。
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入って左手に手水舎がありました。
この手水舎は空襲でも焼けずに残ったもの。
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手水舎のそばには、延寿の井がありました。
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本来なら、個々人の吉方に当たる方が、
祐気取りとして、御神水を頂くとは思いますが、
参拝記念にお参りして、お水取りをしました。
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案内板の反対側に「亀岩」があると
書いてあるので行って見ると、
確かに亀のかたちをした岩がありました。
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亀は四神の北を守護する神、玄武のこと。
妙見様=北極星とすれば、
おなじ北つながりということで、
妙見様の神使ということなのでしょう。

岩を撫でてお参りしました。

亀岩の頭が向いてる方には、
千葉天神がありました。
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ちょうど、この年の6月、
神社検定の受験申し込みをしたので、
しっかり願かけました。
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(そのお陰か、無事に合格できました!
その後も他の天神社に行きましたが、受験を
決めて、最初にお参りしたのが当社なので、
千葉天神のお陰と思っています)

さて、いよいよ拝殿へ。
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神門同様、2階建ての大きくて立派な造り。

(2階でも参拝できますが、撮影禁止。
森はなぜか遠慮して上には上がらなかったです。
次回は行こうと思います)

千葉天神の案内板にもありましたが、
千葉天神のお社は、旧千葉神社の社殿を
移築したもの。

それを思えば、千葉神社開創1000年奉祝事業として
増築された社殿は相当なバージョンアップですね。

氏子・崇敬者の方々の思いの強さの大結晶でしょう。

参拝後、右手にある社務所にて、
千葉神社と千葉天神の
2つの御朱印をお願いしました。
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こちら、御朱印帳もきれいなので、購入しました。
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そういえば、神門に圧倒されて、
神社なのに鳥居が無いなと思ったら、
見つけたのでそこから帰ることにしました。
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PS 

千葉神社の近くには、
豆大福で有名な木村屋があります。
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夕方には売切れてしまうそうで、
店内のお客さんが次々と
豆大福を買っていくので、
森も慌てて買いました。

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# by yagiou17 | 2017-04-11 23:01 | 千葉県 | Comments(0)

御朱印の森へようこそ!御朱印を頂きながら、歴史の勉強をしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
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