赤城神社の裏手にある、ケーズデンキに
沿って、ぐるっと回った先にある、
寶泉山(ホウセンザン)
長流寺(チョウリュウジ)に来ました。
境内にある、緑豊かな大きな木が印象的。
これは銀杏の木で、昭和49年に
流山市の保存樹木として指定されました。
本堂にて参拝後、庫裏にて御朱印を
お願いしました。
出来上がりまで、由緒でも。
江戸時代初期の慶長11年(1606)に、
伊勢国から、了蓮社覺譽上人大信和尚が、
東国布教のため流山村にて、
草庵を結んで布教したのが、当寺の開山
と言われています。
翌年の慶長12年(1607)に
本寺である、浄土宗東漸寺の第八世、
霊譽円應上人によって、
「寶泉山長流寺」と称するよう
命ぜられました。
その後、十四世・眞譽上人の代の
天保7年(1836)に火災によって全焼
してしまいますが、元治元年(1864) に
再建されるという、400年以上も続く寺院です。
流山は、新選組の近藤勇が板橋へ連行、
処刑されることになる最後の別れの地と
いうことから、当寺で近藤勇や土方歳三の
子孫も参加される「勇忌」が行われているそうです。
御朱印が書きあがりました。
御本尊が阿弥陀如来坐像ということで、
御朱印には南無阿弥陀佛と書かれています。
おまけ
新選組と縁の深い流山ですが、
閻魔堂もあるそうなので、行ってみると、
(場所は近藤勇陣屋跡を道なりに30秒ほど
歩いた所にありました)
これまた浅葱の羽織を着た人がいました。
良く見ると、若い女の子(^_^)
新撰組の天然理心流剣術の演舞の最中でした。
こちらは、北総新選組という、2004年から始まった、
流山の観光ボランティアの方たちでした。
ガイドも閻魔堂(安永5年(1776年)に安置されたもの)の
堂内見学も、3月中旬から11月中旬までの毎週日曜・祝日に
行われているそうで、行った日はちょうど日曜日だったので、
運良く見ることができました。
流山に来たってことで、流鉄流山線に乗ったりして、
流山をたっぷり満喫しました。