新橋駅から御成門方面へ歩く、
通勤途中で見かける、塩釜(鹽竈)神社。
拝殿の傷みは激しく、社務所もボロボロで、
いつも人のいる気配がありません。
しかし、何故かこの神社が気になってて、
頂けるなら御朱印が欲しいと思っていたのですが、
正月8日くらいまではいらっしゃるとの情報を得たので、
それを信じて、森の誕生日である1/7に会社の昼休みを
利用して神社にお参りしに行きました。
参拝をし、拝殿左手奥にある社務所へ行くと、
いつも暗い窓から明かりがついていて、
中にお年を召した女性がいました。
窓を開けていただき、御朱印をお願いした
ところ、書いて頂けることになりました。
では、出来上がりまでご由緒でも。
塩釜(鹽竈)神社の総本社は宮城県塩竈市にある、
県内で一番格式の高い一宮と言われる立派な神社です。
そんな立派な神社が、何故新橋にあるのか?
現在の社地は仙台藩主伊達家の中屋敷だったそうですが、
汐留にあった仙台藩上屋敷に元禄8年(1695)
仙台藩4代藩主・伊達綱村が陸奥国一宮・鹽竈神社の
御分霊を勧請したことが始まりで、それから160年ほど
過ぎた、安政3年(1856)に、13代藩主・伊達慶邦が
中屋敷に遷座しました。
以後、空襲による社殿の焼失がありましたが、
再建されて、新橋の地を今でも守っています。
塩釜神社の御祭神は
鹽土老翁神(しおつちおじのかみ)
武甕槌命
経津主命
の3柱です。
鹽土老翁神は、塩の作り方を
伝えてくれた神であり、
山幸彦が釣り針を無くして困っているのを
助けたりと、水先案内人的な神様という
ところから、航海安全・交通安全の御利益が
あるそうです。
しかし、境内には安産御守護の文字が!
鹽土老翁神が何故安産の神でもあるのかは
わかりませんが、13代藩主・慶邦が一般人にも
開放してからは、安産の神として参詣者を
集めるようになったそうです。
さて、御朱印が出来上がったようです。
新橋勤務の森としては、御朱印に
新橋と書かれていると、何か感慨深いものがあります。
あと、旧字体の画数の多い鹽竈の文字が嬉しいです。
右上のハンコがわかりにくいですが、他の方の
御朱印を見てわかりました。
「感謝」という文字でした。
わかると余計に有難味を感じます
塩釜神社前には公園ができてますが、こちらは
伊達家からの土地の寄付によるもの。
関東大震災後の避難場所の確保と町民の憩いの場として、
昭和5年(1930)敷地の一部を公園として
開放されてできたものです。
昼間からのんびりと休んでいるサラリーマンなんか
いたりして、とてものどかです。
森ものんびりしたいとこですが、そうもいかないので、
いそいそと職場に戻るのでした(^_^)