静岡浅間神社から駿府城公園へ行きました。
お堀に沿って歩いていると、何か石碑があったので、
何だろうって見ると、教導石(きょうどうせき)でした。
案内板によると、石碑の右側に住民が知りたい事、
苦情等ある人が、その内容を貼り付けとくと、
左側にわかる人が答えを寄せるとありました。
つまり、アナログ盤Yahoo!知恵袋
といったとこでしょうか。
とにかく、教導石というものがあったというのを
初めて知りました。
さらにお堀に沿って歩いていると、今度は
弥次さん・喜多さんの銅像がありました。
作者の十返舎一九が静岡市(駿河の府中)
所縁の人なんだなって事が改めて認識させられます。
やっと城門が見えてきました。
門を潜ると案内板がありました。
この門は東御門と言って、駿府城二ノ丸の
東にあって、主に重臣たちの出入口として
利用されてたそうです。
こちらは巽櫓。
巽(たつみ)ということで、東南に
ある櫓となります。
さらに中へ入っていくと、大きな池のような
ものがありましたが、本丸堀でした。
駿府城は外堀・中堀・本丸堀(内堀)と
三重の堀を持った輪郭式の平城なんだそうです。
教導石があったところが外堀で、
東御門があるところが中堀、
そして本丸堀と、知らずに三重の
堀を見ていたことを後から気づきました(^_^;)
さてここで、三重の堀にちなんで、
徳川家康が、駿府に三度入ってきたという
エピソードを。
最初は今川義元の人質として7歳から18歳まで
駿府で暮らしていました。
二度目は武田氏を追放して天正10年(1582)
浜松城から築城を始めた駿府城に移り住むために
駿府に帰ってきます。
《静岡駅前の家康像》
三度目は江戸幕府を開いた後、将軍職を息子の
秀忠に譲ると、江戸から駿府に戻ります。
最後は駿府城にて亡くなっていたりするので、
家康は駿府に関わりの深い人物である
ということが見えてきます。
家康像の近くには家康手植えのミカンが
ありました。
どんな味がするのか気になります。
そう言えば、久能山東照宮の境内にも
駿府城から分木した家康お手植えミカンの
木がありましたね。
これにて、静岡日帰りツアーは終了です。
帰りの新幹線では静岡にちなんだものを
買って、思い出に浸りながら帰りました。
久能山東照宮は良かったし、静岡駅
周辺でこれだけ見て回れたんですから、
大満足です。
今回案内してくれたYちゃんありがとう~
また静岡に遊びに行きたいです(^^♪