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鎌倉といえば鎌倉大仏でしょう!

というわけで、長谷寺から10分ほど
歩いて、鎌倉大仏がある高徳院に
行きました。
鎌倉大仏 作者不詳でも鎌倉を代表する観光スポット! 高徳院_c0361995_11213834.jpg
「大異山」と記された扁額が掲げられた
立派な山門をくぐり、拝観料200円を
払って中へ。

境内にどーんと現れた鎌倉大仏!!

大きくて立派ですね。
鎌倉大仏 作者不詳でも鎌倉を代表する観光スポット! 高徳院_c0361995_11261628.jpg
しかし、誰が作ったのか不明なんだそうです。

しかも、高徳院自体、いつ誰によって
創建されたかも不明だといいます!!!

鎌倉のシンボルともいえる大仏様
まさかの展開です!!
鎌倉大仏 作者不詳でも鎌倉を代表する観光スポット! 高徳院_c0361995_11272371.jpg
鎌倉時代の歴史書、「吾妻鏡」によると
最初は木造であったそうです。

寛元元年(1243)に完成されたと
いわれる木造大仏ですが、嵐によって
倒壊してしまったそうで、その15年後
に現在の青銅製の大仏が完成しました。

以後、大きな修復もされておらず、
ほぼ鎌倉時代のままだそうなので、
とても貴重な文化遺産ですよね。
(国宝であります)

と、大仏様はなんとかご無事ですが、
大仏殿のほうは、戦国時代の
明応7年(1498)の大津波で破壊され、
以後、再建はされていないです。

野ざらし状態の大仏様。

でも、だからこそ鎌倉の大仏だって、
強く印象に残りますよね。

ただ失礼ながら、お堂が無いせいか、
お寺とは思えず、鎌倉大仏公園・広場
に思えてなりません。

なので、高徳院のというか、鎌倉大仏の
御朱印があるって知ったときは
えらいコーフンしました(^_^)

欲しくてしょうがないので、大仏様の
右手にある寺務所へ行って、書いて頂く事に。

出来上がりまで、時間がかかるそうなので、
その間に、境内を散歩することに。

大仏様の裏手に、別の広い空間があるようなので、
行ってみました。
鎌倉大仏 作者不詳でも鎌倉を代表する観光スポット! 高徳院_c0361995_11213833.jpg
すると、「観月堂」というお堂がありました。

朝鮮王宮内に建築されたものだそうです。

1924(大正13)年当時これを所持していた
「山一合資会社」(後の「山一證券」)の創業者、
杉野喜精氏によって、東京目黒の私宅から
移築・寄贈されたとのことで、建物の中には、
観音菩薩立像が安置されているそうです。
(菩薩像は2代将軍秀忠が所持していたものだとか)
鎌倉大仏 作者不詳でも鎌倉を代表する観光スポット! 高徳院_c0361995_11213836.jpg
そういえば、高徳院が鎌倉三十三観音のうちの
1つだというのは、今回の下調べで
うっすら把握してたのですが、あんなお堂も無い
公園みたいな高徳院、大仏くらいしか無いのに、
どこに観音様があるんだって思ってたけど、
(まだそんなこと言ってます。失礼しました!!)

これでようやく納得できました。

さて、待望の御朱印が出来上がったようです。

御朱印には、阿弥陀如来と書かれています。
鎌倉大仏 作者不詳でも鎌倉を代表する観光スポット! 高徳院_c0361995_11213883.jpg
そう、鎌倉の大仏様は阿弥陀如来だったんですね。

あ~しかしこうなると、観音様の御朱印も
頂きたいなと思ったけど、頂いちゃうと
三十三集めないとならなくなるから、
とりあえず辞めておきました。

なにせまだ、江戸三十三観音も結願になって
ないくらいなので、まずはそちらが先かなって(^_^)

でもいつかは鎌倉三十三観音も集めたいです!

# by yagiou17 | 2016-08-20 11:37 | 神奈川県
江ノ島から江ノ電に乗って、
長谷寺へ向かいました。

長谷寺は5年位前に
アジサイを見に行って以来。
長谷寺式観音様があるお寺 長谷寺_c0361995_23321005.jpg
その頃は御朱印にはまったく
興味がなかったので、今回は
違った楽しみ方ができるのではと
ワクワクしてます(^_^)

拝観料300円を払って中へ。
長谷寺式観音様があるお寺 長谷寺_c0361995_23321042.jpg
境内は池があったり、四季折々の花木が
あふれている回遊式庭園となっていて、
「ここお寺だっけ?」って錯覚するくらい
の和みの空間を味わえます。
長谷寺式観音様があるお寺 長谷寺_c0361995_23321013.jpg
案内板どおりに階段を登っていくと、
柔和な表情のお地蔵さんがいました。
長谷寺式観音様があるお寺 長谷寺_c0361995_23321164.jpg
(後で知りましたが、これは
良縁地蔵だそうで、境内には他にも
あるそうです)

さらに階段を登ると、観音堂がありました。
中に入って参拝することに。

《堂内撮影禁止》

薄暗いお堂の中に、巨大な観音像が
厳かに、凛々しく立っていました。
長谷寺式観音様があるお寺 長谷寺_c0361995_23321069.jpg
観音像を見て、森は息を呑みました。

圧倒的な迫力と何ともいえない神々しさ。

特別仏像好きでもない森ですが、長谷寺の
観音さまは、なぜか縋りたくなるくらいの
思いがこみ上げてきました。

「長谷寺の観音様は長谷寺式って
言って、普通の観音様と違うんです」

今回一緒に行ったメンバーさんの1人に
仏像好きな人がいて、説明してくれました。

「普通の十一面観音は右手はまっすぐに
下りてるけど、長谷寺式は錫杖を持ってる」
のだそうです。

錫杖は一般的には十一面観音の
持物(じもつ)ではなく、地蔵菩薩が
持つものだそうです。

森はまったくそんなこと知りませんでしたが、
今後、仏像を見るときのポイントになるなと
思いました。

そんな長谷寺の観音様ですが、
なんと、三浦半島に流れ着いたものを
祀っているのだとか。

奈良時代の養老5年(721年)に
奈良県大和の長谷寺の徳道が
楠の大木から2体の十一面観音を造り、
その1体を大和の長谷寺の本尊とし、
もう1体を祈請の上で海に流したところ、
その15年後に流れ着き、安置し現在に
いたってます。

さて、御朱印ですが、お堂内の
右手に受付があったので、お願いしました。
長谷寺式観音様があるお寺 長谷寺_c0361995_23320956.jpg
出来上がった御朱印は観音様のこともあり
よりいっそうありがたさが伝わってきます。

外へ出ると、右手は見晴台になっていて、
海が見渡せます。

天気がいいこともあり、本当に清々しい
気分になります。
長谷寺式観音様があるお寺 長谷寺_c0361995_23320980.jpg
海の眺望も楽しめるなんて、やっぱり
鎌倉っていいなあって思いました(^_^)

長谷寺ほんとに気に入りました。

観音様にもまた会いたいし。

(仏像好きの人は仏像に会いたいって
言うけど、その気持ちがやっとわかった)

他にも阿弥陀如来と弘法大師の御朱印も
あるし、また訪れたいです(^_^)

って、結局御朱印じゃないか♪(´ε` )

# by yagiou17 | 2016-08-17 23:52 | 神奈川県
江島のお不動様 江の島大師_c0361995_22512245.jpg
江島神社にお参りに来ても、三女神全て
お参りしたことがなかった森ですが、
今回はきちんと巡るぞ!と
奥津宮へ向かっている途中で、真っ赤な
仁王像が森の目に飛び込んできました。
江島のお不動様 江の島大師_c0361995_22512155.jpg
こちらは江の島大師と言いまして、
鹿児島県にある高野山真言宗最福寺の
別院として建立されたお寺なんですが、
奥津宮に行く前に、行ってみることにしました。
江島のお不動様 江の島大師_c0361995_22512244.jpg
正面の本堂に行く為に、階段を下りると
入り口がありました。

中に入ると、左手には室内の像としては
国内最大6メートルだという、本尊の
不動明王(通称「赤不動」)がありました。
江島のお不動様 江の島大師_c0361995_22512270.jpg
右手はお守りなど売っている寺務所となっています。

お参りしてから、寺務所にて御朱印を書いて
頂く事に。

出来上がるまで、寺務所の前にあるお守りや、
カラフルな御朱印帳を見てました。
江島のお不動様 江の島大師_c0361995_22512278.jpg
さらに横のほうを見ると、ずら~っと同じ
著者の本が並んでました。

これは最福寺の法主であり、江の島大師の
住職である池口恵観という方の著書です。

昔江ノ島には神仏習合の金亀山与願寺という寺が
ありましたが、明治時代の廃仏毀釈や神仏分離令
により、神社部分は江島神社となり、お寺は
壊されたままでした。

島から仏教寺院がなくなって百数十年を経た
1993年(平成5年)に廃業した旅館「江の島館」
跡地に恵観住職が創建することに。

その際、お大師様の石像が地中から出てきたそうで、
江の島大師の守り仏としているそうです。

と、軽く由緒を紹介したところで、
御朱印ができたようです(^_^)
江島のお不動様 江の島大師_c0361995_22512259.jpg
江島のお不動様 江の島大師_c0361995_22512274.jpg
受け取る際、ピンクのカエルがかわいいなと
思って買うことに。

初穂料を払おうとしたら、
「御朱印はお気持ちで結構ですので」と
お寺の方がおっしゃって、カエルのお守り代
しか受け取ろうとしませんでした。

おぉ、なんと優しいお言葉!
江島のお不動様 江の島大師_c0361995_22512234.jpg
御朱印の赤不動の文字がまぶしく思えた
森でした(^_^)

# by yagiou17 | 2016-08-15 22:58 | 神奈川県
西鎌倉から移動して、江島神社に来ました!!
日本三大弁財天の一社 江島神社に行ってきました!!_c0361995_22132246.jpg
さすが江ノ島。マリンスポーツも楽しめる
人気スポットだからでしょうか、
人の数がぐっと増えましたね。

江ノ島は弁財天が天から降りてきたときに
できた島と言われていて、
欽明天皇13年(552年)、神宣に基づき
欽明天皇の勅命により、江ノ島の南の洞窟に
宮を建てたのが始まりのようで、

その後は修験道の開祖といわれる役小角や
弘法大師、日蓮など、名だたる高僧が参籠。
日本三大弁財天の一社 江島神社に行ってきました!!_c0361995_20212953.jpg
さらに、寿永元年(1182年)、源頼朝の命により
文覚(もんがく:真言宗の僧)が弁財天を
勧請したことによって、江ノ島=弁財天の
イメージが強くなって、現在に至ってます。

そんな江島神社は日本三大弁財天のうちの
一つとされていて、祀られている神様は
宗像三女神であったりするので、今回の
レポートは3という数字にこだわって、

○日本三大弁財天

○宗像三女神

○江島神社の御朱印

の3本柱でお届けしようと思います。

『日本三大弁財天』

一つは江島神社ですが、残りの2つはどこなのか?

まず一つ目は広島県の厳島神社です。
海辺に立っている鳥居が印象的ですね。
あの鳥居は、地面に埋め込まれてるのではなく、
柱の重みだけで立ってるそうです。

2つ目は滋賀県の
都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)
別名竹生島神社(ちくぶ)と呼ばれていて、
琵琶湖に浮かぶ島、竹生島に弁財天が降りてきた
という伝説にちなんでいるそうです。

どちらも行ったことないので、ぜひ
行きたいです(^_^)
日本三大弁財天の一社 江島神社に行ってきました!!_c0361995_20253077.jpg
『宗像三女神』

誓約(うけい)という言葉をご存知でしょうか?
占いのひとつで、先にこうなれば吉と約束事を
決めて、そうなれば吉、ならなければ不吉という
もので、簡単に言うとコイントスのような
ものでしょうかね。
日本三大弁財天の一社 江島神社に行ってきました!!_c0361995_20212926.jpg
昔、須佐之男命が天照大神に
対して邪心の無いことを証明する為に
誓約をした際、天照大神が須佐之男命の
十拳剣を噛み砕き、吹き出したものが、

田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)
市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
の三女神として生まれてきました。
日本三大弁財天の一社 江島神社に行ってきました!!_c0361995_20242063.jpg
ちなみに、コイントスなら、表が出たら
勝ちとか決まりがありますが、この時の誓約は
ただ子供を生みましょうと話を持ちかけた
だけで、どう生んだら勝ちとか
決めずにやったので、へりくつ?で
須佐之男命が勝ったことになってます。
日本三大弁財天の一社 江島神社に行ってきました!!_c0361995_20242034.jpg
森の解釈になりますが、産まれた御子が
女子なら心が清いことが証明される
ということで始めた誓約だと思うのですが、
須佐之男命は天照大神の勾玉を使って
生んだのは5柱の男神でした。
日本三大弁財天の一社 江島神社に行ってきました!!_c0361995_20212917.jpg
そうなると須佐之男命の負けだと
思うのですが、須佐之男命は
「俺の剣から女神が生まれたんだから、
俺の勝ちだ」って天照大神を
言い負かしちゃうんです!!
日本三大弁財天の一社 江島神社に行ってきました!!_c0361995_22185470.jpg
日本三大弁財天の一社 江島神社に行ってきました!!_c0361995_20212903.jpg
すったもんだありましたが、
江島神社はこの三女神を
田寸津比賣命=「辺津宮」
市寸島比賣命=「中津宮」
多紀理比賣命=「奥津宮」
として祀っています。
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日本三大弁財天の一社 江島神社に行ってきました!!_c0361995_20242006.jpg
だいたい最初に参拝できる辺津宮で
お参りしたら終わりにしてましたが、
今回は奥津宮まできちんとお参りして
来ました。

『江島神社の御朱印』

社務所は最初に参拝できる辺津宮の
右手にありました。
日本三大弁財天の一社 江島神社に行ってきました!!_c0361995_20212834.jpg
こちらで頂ける御朱印は江島神社の
ものと、弁財天の2つ。
日本三大弁財天の一社 江島神社に行ってきました!!_c0361995_20212883.jpg
日本三大弁財天の一社 江島神社に行ってきました!!_c0361995_20241964.jpg
森は両方頂きました(^_^)

それと御朱印帳がとても爽やかな
デザインで気に入ったので御朱印帳も
購入しました。
日本三大弁財天の一社 江島神社に行ってきました!!_c0361995_20212965.jpg
まだまだ、江島神社に関する見どころ、
情報はいっぱいで伝えきれないし、
あと、岩屋も行けなかったので、
また参拝に行きたいと思います(^_^)

# by yagiou17 | 2016-08-10 22:33 | 神奈川県
今回は江島神社にも行くことを決めていたのですが、
ネットで調べてるうちに、
江島神社と夫婦関係の神社があるってことを知りました。

なんだか気になるので、そちらにも行くことにしました。
弁財天と夫婦関係の神社 龍口明神社_c0361995_00424601.jpg
その神社は龍口明神社(りゅうこうみょう)です。
弁財天と夫婦関係の神社 龍口明神社_c0361995_00424738.jpg
大船駅から湘南モノレールに乗って、
西鎌倉駅から10分ほど歩いたところにありました。
弁財天と夫婦関係の神社 龍口明神社_c0361995_00424651.jpg
境内はすっきりと整えられた感じで、社殿も綺麗で、
天気もよいし、実に清々しい気分になりました(^_^)
弁財天と夫婦関係の神社 龍口明神社_c0361995_00424694.jpg
お参りをしてから、境内の右側にある社務所に行って、
御朱印を書いて頂きました。
弁財天と夫婦関係の神社 龍口明神社_c0361995_00424717.jpg
御朱印を見ると、御祭神が玉依姫命(たまよりひめのみこと)と
五頭龍大神(ごずりゅうおおかみ)だということがわかります。

玉依姫命は初代天皇である神武天皇の母神様として有名です。

では、五頭龍大神はというと、
なんとこちらが江島神社(弁財天)と
夫婦関係の神様なんです。
弁財天と夫婦関係の神社 龍口明神社_c0361995_00424699.jpg
今から1500年ほど前のこと、
頭が5つある龍、五頭龍が田畑を荒らし、
村の子供を喰ったりと、村人たちを大いに苦しめていました。

そんな時、天から弁財天が現れました。
(その時にできた島が江の島です)

五頭龍は弁才天に一目惚れ。

妻になって欲しいとお願いするが、
弁才天は乱暴者で反省しない
あなたの妻にはなりません!と厳しく言いました。

五頭龍はどうしても弁才天と夫婦になりたかったので、
今までの悪い所業を反省して、
もう一度弁才天にアタックしました。

すると弁財天は五頭龍のことを信用して妻になることにしました。

それからの五頭龍は日照りが続けば村に雨を降らし、
津波が来れば全身で防いだりと、村人たちから感謝されました。
弁財天と夫婦関係の神社 龍口明神社_c0361995_00424638.jpg
そんな大活躍の五頭龍でしたが、寿命が尽きることを感じ、
山になって見守ることにしました。

それが龍口山で、江の島の対岸にあるのです。

最初はその龍の口に当たるところに神社があったので、
龍口明神社と言われるようになりましたが、
太平洋戦争後の復興の際に、龍の腹に当たる、
現在の地に移動しました。

さらに御朱印を見てみると
3つの三角の神紋があることに気づきました。

こちらは3つ鱗紋で、北条家の家紋として有名ですが、
これは北条時政が江の島で
参篭(さんろう:神社・寺院などに一定の期間こもって祈願すること)
したところ、満願の夜に弁財天が現れ、
時政の願いを叶えることを約束した弁財天は、
大蛇となって海に消え、あとには3枚の鱗が残った。
弁財天と夫婦関係の神社 龍口明神社_c0361995_00424666.jpg
時政はこれを家紋にしたと伝えられています。

今回も御朱印からいろいろと学べました(^_^)

# by yagiou17 | 2016-08-09 00:53 | 神奈川県

御朱印の森へようこそ!御朱印を頂きながら、歴史の勉強をしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。


by 森