御朱印の森

静岡天満宮 菅原道真公の次男も祀られている神社

久能山東照宮での参拝を終え、
静岡駅に戻って静岡おでんを
食べた後は、帰りの新幹線まで
時間があるので、静岡浅間神社と
駿府城に行くことに。

まず、静岡浅間神社まで歩いて
行くのですが、途中、
東海道中膝栗毛の作者で有名な
十辺舎一九の生家跡伝承地に
偶然出会いました。
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江戸のイメージが強かったんですが、
駿府の生まれだったんですね。

さらに、歩いていると、
静岡天満宮の看板が見えました。
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せっかく出会ったのだから、
お参りして行こうと、予定に
無かったのですが、参拝することに。

境内は広くはないですが、スッキリと
整った感じで、気分がいいです。
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階段を上がって、正面の拝殿にて参拝。
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参拝後、拝殿の左右それぞれ回廊のように
なっているので、見てみると、
左手には小さなお社がありましたが、
なんのお社かわかりにくかったので、
すぐに右手に移動。

(後で知ったことですが、
実はこの左手にあったお社が
当社と深いかかわりがあったのです。
画像撮っとけばよかった。。。)
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右手には稲荷社がありました。

こちらは境内の案内板によると、
「静銀稲荷社」として祀られているとのこと。
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最初は静岡銀行の社内に祀っていた
ものが、進駐軍によって撤去を命じられますが、
静岡天満宮に御神体だけでも祀って欲しいと
お願いしたら、快く引き受けられ、合祀されて
いましたが、現在のように別のお社に
お祀りされるようになり、今でも
「初午祭」の時には、静岡銀行の方々が
お参りすることを続けているそうです。

境内には天満宮ということで、
撫で牛(臥牛:がぎゅう)もいました。
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参拝も終え、御朱印を頂きたいと
思ったのですが、授与舎は閉まっていて、
人の気配がありませんでした。
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しかし、御用の方は「斉館」へお越し下さい
と案内があったので、行ってみると、
拝殿の左手奥に「齋館」があるのが見えました。
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チャイムを押すと、宮司さんでしょうか、
男性の神職の方が出て来たので、御朱印を
お願いしました。

では出来上がりまで由緒でも。

当社の具体的な創建がいつかは
不明ですが、江戸時代の古地図
慶長12年(1607)には駿府城の
四足御門周辺に「四足天神」として
記録が残っていることが確認されています。
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御祭神は菅原道真公ですが、
九州大宰府に流されると、
4人の息子たちも位を下げられて、
各地に流されることになりました。
(昌泰4年:901年1月25日の翌々日)

その中の次男である景行公は
駿河権介(するがごんのすけ)
に降格されて、
駿河の国府に左遷となります。
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景行公が駿河に居住していたということから、
平成元年に篤志家により、景行公のお社が
寄進されています。
(それが拝殿左手のお社でした)

つまり、静岡天満宮は菅原道真公だけでなく、
次男の景行公も祀っているという、
珍しい神社です。

しかしまあ、道真公に4人の息子が
いたこと初めて知りました。

御朱印、拝受いたしました。
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# by yagiou17 | 2018-05-15 23:14 | 静岡県 | Comments(0)

久能山東照宮 家康の手形&黒はんぺん

前から一度、久能山東照宮に行ってみたいと
思ってて、行きたい行きたいと騒いでたら、
ちょうど静岡出身のYちゃんが案内してくれる
ことになり、いつもの御朱印メンバー?2人も
加わり、合計4名で、ゴールデンウイークを利用して、
日帰り弾丸御朱印ツアーin静岡を決行しました。

静岡駅から久能山東照宮行のバスに乗って
約1時間で、久能山東照宮に到着しました。
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早くも長い石段が見え、山の上の方には
門が見えていて、少なくともあそこまでは
登るんだなって思うと、疲れるだろうけど、
なんかワクワクしてきました。
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少し登って振り返れば、
その先に駿河湾が見えます。
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どんどん登っていきます。
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つづら折りの石段が目の前に
ず~っと続いてます。
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登るのも大変だけど、これを作った人って
偉いなあ~って、山とか登るときとか、
いつもそう思ってます。

人間の力ってスゴイなって。
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登って来て最初の
駿河湾ビューポイントに到着。
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雄大な駿河湾を見たら、気持ちがパーッと
晴れやかになりました。
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登っては駿河湾をパチリ
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登っては駿河湾をパチリの
繰り返しでしたね。
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やっと下から見えていた門に到着。

ここで、休憩したり、写真を撮ってる人が
多かったですね。
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ここまで来ればもうすぐだろうと
思ったのですが、まだ石段は続いてました(^_^;)
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石段を登り切ったところで、最後に
駿河湾をパチリ。
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今回、久能山東照宮に来た目的は
御朱印以外に主なものは2つありました。

一つは石段を登って駿河湾の景色を楽しむってこと。

ロープウェイで上まで行けるのですが、
やはり、頑張って歩いて石段を登って
見る風景は格別とすすめられていたので、
ぜひ、そうしたいと思ってました。

これは、十分楽しめました(笑)

もう一つは、家康公の手形の写真を撮るってこと。

天下を取る人は手相が「マスカケ」と
言われてて、森も実は変形ですが、
両手がマスカケなので、これはもう
あやからねば!!と強い思いでやってきたのでした。
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しばらく歩いて、やっと社務所まで来ました。

まず、ここで参拝初穂料
(博物館も見たかったのですが、時間的な
余裕がなく、社殿のみ500円をチョイス)
を払って、ついでに御朱印もお願いしました。
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出来上がりは参拝後に戻ってきた時に
受け取るようにしました。
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というわけで、社殿を目指します。
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社殿まではまた石段を登ることに(^_^;)
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まだかまだかと登ってるうちに
ようやく社殿に到着しました。
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「やっとこうして無事に辿り着いて
お参りが出来てうれしいです」って
思いつつ参拝。
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参拝後、家康公の墓所へ行くことに。

今まで1159段登ってきたんだなって、
案内板で気づきました。
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墓所はさらに40段でした(笑)
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墓所までの道すがら、社殿を見ながら
歩きましたが、改めて黒字に金の社殿って、
重厚さと煌びやかさが相まって、
豪華絢爛とはこのことだな!と思わせる
立派な社殿だな~と感心しました。
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40段も登り終え、墓所に到着して参拝。
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参拝後はぐるっと周囲を見て回りました。
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手水舎の近くには金の成る木がありました。
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一通り参拝を終えたので、社務所に戻ろうと
歩いていると、また多くの参拝者がお参りしてる
社殿があったので、行ってみると、日枝神社でした。
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元々は薬師如来を安置していたけれど、
明治の神仏分離から大山咋命を祀るように
変わったようです。
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ということは、大山咋命の本持仏は薬師如来
ってことなんですかね。

それに関連したことで、徳川家康は
薬師如来の生まれ変わり
とも言われてたりしてるから、
徳川家康=薬師如来として
祀られてるのかなと思いました。
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帰りの途中、ガンプラがある!って見ている内に、
急に「そう言えば、家康の手形の
写真を撮るんじゃなかったのか!」と思い出しました。

しかし、今まで歩いてて、手形の案内板も
見当たらなかったこともあり、すっかり
忘れてて、「もしかして、手形は博物館に
あるんじゃ?」なんて嫌な予感が。。。

心配してたら、近くにちょうど巫女さんがいたので、
手形の事を聞いたら、なんとこの近くの門の
ところにあると教えてくださいました。
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その門に行ってみると、ありました!!

実は参拝するときに既に通り過ぎてた門の
傍にあったんですね。
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我ながら、実にいいタイミングで教えて
もらえて、きっと何かの縁だなと
一人悦に入りました(笑)
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というわけで、喜び勇んで撮りました。
(この画像はスマホの待ち受け画像にしてます)

目的をすべて果たし、気分よく社務所にて
御朱印を拝受いたしました。
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帰ろうと思ったら、社務所に
「しかみ像」の像があるのに気づきました。
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元亀3年(1573)三方ヶ原の合戦にて、
武田信玄との戦に敗れた徳川家康は
命からがら逃げ伸びたが、恐怖から
脱糞したと伝わっている。

その時の言い訳は
「これは味噌じゃ。焼き味噌じゃ!」と
言ったとか。
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負け戦の悔しさを忘れぬよう、
あえて、戒めとしてしかめっ面を
描いた作品を家康は大事にした
のだそうです。

そう言えば、久能山東照宮
創建には武田信玄も関係があります。
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そもそもは推古天皇御代(592~628)に
秦氏の久能忠仁がこの地に久能寺を
建立したのが始まりで、後に武田信玄が
駿府に進出した際に、久能寺を移して、
久能城を築きました。
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しかし、武田氏が滅亡すると徳川家康の
ものとなり、薨去後には2代将軍秀忠が
元和3年(1617)に社殿を造営。

これが日本で最初の東照宮となりました。

まとめると、

寺→城→東照宮って変遷を辿ってる
ことになります。

さて、久能山東照宮から静岡駅に
戻って来てきました。
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というのも、前から気になっていた
「黒はんぺん」が食べたかったから!
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黒はんぺんって、白いはんぺんに
汁が染み込んで黒くなったから
黒はんぺんと思ってたんですが、
つくねだったんですね。
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でも、これは黒はんぺんなんだとか。

牛筋も静岡おでんでは鉄板だとか。
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関東の薄い色のだし汁を思うと、
黒っぽくて油っけが多く見えるけど、
色からは想像できないくらいあっさりで、
食べやすかったです。

あと、魚粉はマストアイテムだなと。
香ばしさが加わって、旨さ倍増です!

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# by yagiou17 | 2018-05-11 00:31 | 静岡県 | Comments(0)

利田神社 鯨塚のある神社

品川区、神社仏閣巡りの
最後に利田神社へ行くことに。

こちらの神社では御朱印は
無いようですが、「鯨塚」が
あるということで、実際に
見てみたいので行きました。
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品川神社から再び第一京浜を渡って、
北東に進むと船溜まりがあって、
その傍に利田神社がありました。
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この利田神社、どう読んでいいか
わからず、「としだ」かと思って
いたら、「かがた」でした。

(利田(かがた)という名字の方が
いらっしゃるそうで、全国で
1000人程ということで、ちょっと
珍しい名字ってことをネットで知りました)

まず拝殿にて参拝。
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賽銭箱にある神紋(波に三つ鱗)を
見たとき、江島神社にもあったなって
思い出しました。

ということで、利田神社の御祭神は
市杆島姫命だと伺えます。

寛永3年(1636)東海寺の沢庵和尚が
弁財天を祀り、洲崎弁財天と呼ばれていた
のが当社の創始と伝わっていて、
明治2年(1869)に神仏分離令から
御祭神が市杆島姫命に改められ、
社号も「利田神社」と改称されることに。
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利田という社号は、「利田新地」
から来てます。

安永3年(1774)から
天保5年(1834)にかけて、この辺一帯が
埋め立てられた際、開墾のリーダー的人物が
南品川宿の名主である利田吉左衛門だったので
その名字から利田新地となったのです。

さて、鯨塚は境内の左手にありました。
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寛政10年(1798)5月に天王洲の
浅瀬に乗り上げて動けなくなった鯨を
漁師たちが捕まえ、解体されて、
骨は利田神社境内に埋められた。と
案内板にありました。
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当時大変話題になったそうで、11代将軍家斉も
浜御殿(現:浜離宮御賜公園)まで運ばれた
鯨を見たとのこと。
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平成の世になっても鯨が浜辺に打ち上がったら
結構な話題になると思いますが、江戸時代なら
もっと大騒ぎだったのでしょうね。

そう言えば、案内板に歴代の町会の
会長名が記されている中に、利田という
名字は無かったのですが、利田姓の
方って品川にはいらっしゃらないのか
どうなのか、ちょっと気になっちゃいました。
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神社の左手には公園(品川浦公園)がありました。
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鯨塚にちなんでか、鯨のオブジェや乗り物が
あるのが印象的。

ふと、公園から拝殿が見えた時に、
本殿はどうなってるのだろうと近づいて
みたら、本殿と呼ぶには小さいけど、
石造りのものがありました。
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石塀の表札?には「奥の院完成」の
文字がありました。

木造の拝殿の後ろに石造りの本殿というと、
寄木神社を思い出しましたが、品川地区だけの
独特の作りなのでしょうか?
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船溜まりを見ながら、最寄り駅の
北品川駅でなく、品川駅まで歩いて帰りました。

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# by yagiou17 | 2018-05-07 00:02 | 歴史・小ネタ | Comments(0)

品川神社 東京十社 富士塚もある見どころの多い神社

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一心寺から旧東海道を抜けて、
第一京浜を渡った先に品川神社が
ありました。
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やはりこちら、
品川神社の第一鳥居である
「双龍鳥居」が何とも
目を引きます。
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双龍鳥居は都内に3つ
(品川神社と杉並区にある馬橋稲荷神社
高円寺境内の稲荷社)
しかないと言われる貴重な鳥居。
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凛々しい鳥居をくぐり、石段を上がると
すぐ左手に、品川富士(富士塚)の
登山道があったので登ってみることに。
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2合目には修験道のカリスマである
役行者とそれに従う前鬼・後鬼
(夫婦の鬼)がいました。
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道なりに登っていくと、
あっという間に頂上に到着。
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眼下に第一京浜が見えます。
(偶然マリオカートが走ってました)
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高台の上に作られた富士塚ってことも
あって、下を見ると高さを感じずには
いられません。
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ゴールデンウイークという時期ってことで、
頂上では鯉のぼりがたなびいていました。
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しばらく、頂上で眺望を楽しんだ後、
反対側の登山道を下りて行くと、
浅間神社がありました。
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参拝後、周囲を散策。
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ダジャレのきいた「ぶじかえる」にも
手を合わせて挨拶しました。
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鳥居の台石に〇に七と加の講章がありました。
(画像縮小のため見えずにすいません)

品川富士は丸嘉講の講員により築かれた
ものなので、〇に嘉と思ったのですが、
なぜ七と加なのか?
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森なりに調べたところ、嘉の吉の部分は
草書体で七と書けるので、画数を減らして、
シンプルにするために嘉の文字を
七と加に略したのではと思いました。

富士塚下山後、石段の所に戻ったので、
写真を撮ってみました。
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高さと富士塚への登山道の位置はこんな感じです。
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拝殿に向かいます。
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その途中、備前焼の狛犬が気になりました。

森は備前焼の狛犬を初めて見たのは、
香川県に旅行に行った時の金刀比羅宮でした。

それを思い出しましたね。

あと、鬼ヶ島に行ってみたくて、
香川県の女木島に行った時に、島内にあった
住吉神社にも備前焼の狛犬があったのを
思い出しました。
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《女木島の住吉神社》

岡山県と香川県は海を挟むけど、
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お隣な位置なので、距離的にも近いので、
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備前焼がけっこう浸透してるのかなと。

でもなぜ品川神社にあるのかはわかりません(笑)

品川神社にも江戸・東京の農業(野菜)の
紹介の案内板がありました。
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品川ではネギとカブが作られてたんですね。

もともと東京にあったのではなく、
地方から来た入植者が種を持ち込んだ
ことから発展してるようですね。
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手水舎の額がカッコよくって気になりました。

拝殿にて参拝後、左手にある
社務所にて御朱印をお願いしました。
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では、出来上がりまで由緒でも。

後鳥羽天皇の御世である
文治3年(1187年)に、
源頼朝が安房国の洲崎明神から、
海上交通安全と、祈願成就の守護神として、
天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)を
勧請したのが始まり。
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その後、鎌倉時代末期の元応元年(1319)に
二階堂道蘊(どううん)が、宇賀之売命を勧請。

二階堂道蘊って馴染みが無く知りませんでしたが、
道蘊は法名で、名は貞藤。
14代執権・北条高時の時に政所執事として
活躍していた人物でした。

さらに、室町時代中期の文明十年(1478)には
太田道灌が素盞嗚尊をお祀りしました。
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品川神社が「北の天王様」と呼ばれるように
なるのはこのことが関係してます。

慶長5年(1600)関ヶ原の戦い出陣の際に
戦勝祈願をした徳川家康は見事勝利し、
後に祈願成就の御礼として、
仮面・神輿など奉納。
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以後、御修覆所(社殿修復など、幕府が賄ってくれる)
として、家光など歴代将軍から厚い庇護を受けるように
なりました。

御朱印拝受いたしました。
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御朱印を頂いた後、拝殿右手に鳥居がいっぱい
並んでいるのが気になっていたので行ってみました。
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こちらは阿那稲荷社で、
上社と下社と社殿が
別れていました。
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上社で参拝後、石段を下りて下社へ。
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下社は独特の厳かな雰囲気が漂う感じがしました。
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御利益を願って、ざるに小銭を入れて洗いました。
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品川神社本殿裏手には
「板垣死すとも自由は死せず」で有名な
板垣退助の墓があるということで行きました。
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思ったよりも広々としたスペースの奥に
お墓がありました。
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来たのはいいのですが、どれが板垣退助の
お墓かわかりませんでした(^_^;)
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取りあえず、一番大きい奴だろうと思って
写真を撮りました。おいおい
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(後で知りましたが、右手の大きい方が
板垣退助の墓で、左は4番目の妻の
板垣絹子のお墓でした)
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生前に死後、ここに墓を建てるように希望
していたそうで、元々こちらは高源院という
寺院でしたが、今でも品川神社の境内地
ではないけれど、お参りできるようにしてる
のだそうです。

以上、見どころの多い品川神社でした(`・ω・́)ゝ

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# by yagiou17 | 2018-04-25 23:26 | 品川区 | Comments(0)

一心寺 江戸三十三観音霊場30番 品川の成田山

品川橋の近くには
北品川商店街の通りがあります。
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通りを歩くと、江戸時代に大名が
宿泊する本陣が置かれていたという
ことで、品川宿本陣跡の石柱がありました。
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奥は公園になっていて、明治元年(1868)に
明治天皇が行幸の際に行在所となったことから、
聖蹟公園と命名され現在に至ってます。

さらに進むと、品川の成田山と慕われる
豊盛山 一心寺前に到着。
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商店街の中の小さなお寺は、すぐ目の前が
本堂ということもあり、ふらっと参拝しやすい
雰囲気が感じられました。

参拝後に本堂の柱にある
インターフォンを押すと、
ご住職の奥様でしょうか、
お出になられて、御朱印帳を預けて、
出来上がりを待つことになりました。
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待っている間、境内の由緒板を見ると、
当寺は大老井伊直弼により安政2年(1854)に
開山されたことがわかりました。
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この頃はペリーが黒船で来航して開国を
迫った慌ただしい時代ですね。
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昭和時代には、成田山分身の不動明王を
本尊とし、お祀りするようになりました。

御朱印拝受いたしました。
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一心寺を出て、品川神社方面へと歩くと、
品川宿の石碑がありました。
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東海道五十三次の最初の宿場町である品川。
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当時の宿場もなく、風景は随分違うけど、
それぞれの時代に合った賑わいを
見せていると思います。

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# by yagiou17 | 2018-04-14 23:20 | 品川区 | Comments(0)

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