御朱印の森

大長寺 ほのぼのとした版画の御朱印

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ご縁があって、行田市出身の方の紹介で、
熊谷の「うちわ祭り」を見に行ったのですが、
大きくて迫力のある山車と、そこで奏でられる
威勢の良いお囃子の音色、そしてそこに
集まる沢山の人たちの熱気が素晴らしく、
すっかり魅了され、毎年見に行きたいと、
思ったくらい気に入っちゃいました(^_^)v
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という訳で、再びうちわ祭りを見に行く
ことになったのですが、せっかく熊谷まで
行くのなら、夕方の祭りの時間まで
神社仏閣を巡ろうと思いました。
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まず向かったのが、行田市にある大長寺。

こちらのお寺の御朱印は
木版画風の押し印が評判となってます。
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行田市駅から徒歩15分程歩くと、
国道125号線沿いに大仏の背中が見えました。
写真は見切れてます(^_^;)
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山門の傍には松尾芭蕉の句碑がありました。
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境内に入って、すぐ右手には
大長寺大仏がありました。
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大仏の前には脇侍(きょうじ)として
お地蔵様がいて、露座の三尊形式という
のはなかなか珍しい光景だなと思いました。
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大仏は享保年間に忍藩主阿部氏の
寄進によるものでしたが、供出のため
無くなってしまうも、平成8年(1996)に
再建されたものが、現在こうして鎮座されてます。
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境内には、六地蔵尊、塩地蔵尊、水子地蔵尊と
お地蔵様がズラッと並んでいたり、
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閻魔大王・奪衣婆の像があったり。
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(閻魔大王は地蔵菩薩の化身と言われてるので
そいうつながりだからあったのかはわかりませんが)
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本堂は2階建ての鉄筋コンクリート造り。
(昭和58年(1983)建立)
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本堂にて参拝。
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扁額には増上寺七十七世貫務書八十七歳とあり、
壁には葵の御紋が施されたりして、
浄土宗と徳川家に何かご縁があるのかなと
気になりました。
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参拝後振り返ると、墓地が見渡せました。
結構な広さですね。

御朱印は1階の寺務所にて。
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行って見ると、12時から1時までは書置きと
張り紙があり、時計を見たら12時まで50分!
どうしても御朱印帳に直接押し印が欲しかったので、
境内をウロウロしてなんとか時間を潰し、
1時過ぎたので、改めて寺務所へ行きました。

散策したらキティちゃんの石像を発見(^_^)v
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中へ入って、御朱印をお願いして、
書きあがるまで待っていました。

壁に御朱印があるなって気付いて
見てみると、木版からゴム版に
なったとありました。
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そこらへん、キチンとお知らせ
しているところに好感が持てました。

その下にはちょっとした由来がありました。
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3メートルあまりの亀ってちょっと怖いな(^_^;)

当寺は浄土宗の総本山である
京都知恩院第29世岌善(ぎゅうぜん)上人が
元亀天正年間(1570-1593)諸国巡行中に
当地へ滞留された際に創建されたと伝わってます。

御朱印、拝受いたしました。
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この版画は、
行田出身の書家で版画家の渥美大童
によるもの。

棟方志功から版画を教えてもらった
ということで、どこかほのぼのとした
感じの影響を受けているのかなと、
素人目ですがそう見えました。




# by yagiou17 | 2019-01-15 22:53 | 埼玉県 | Comments(0)

所澤神明社と鳥船神社

所沢神社巡りの締めくくりとして、
所澤神明社に行きました。
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第一鳥居の傍には御神木がありました。
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境内の中ほどではなく、入口付近に
あるって珍しいですね。

鳥居を潜りしばらく歩くと、
右手に黒ずんで年期を感じさせる
両部鳥居が見えました。
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御祭神が崇神天皇という、
蔵殿神社(ぞうどのじんじゃ)
ですが、社名にもあるように、
蔵が社殿となっています。

御祭神も社殿もこれまた
珍しく思いました。

石段を登っていくと、
神明造の拝殿が見えてきました。
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手水舎はこれまた、岩をくり抜いた
武骨なもの。
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中氷川神社でもそうでしたが、
たった2社だけで言うのも何ですが、
所澤にある神社の水盤は岩の形を
そのまま生かしたものが主流なのでしょうか?

お清めも終わり、拝殿へ向かいます。
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行った日は夏越の祓いの
時期だったこともあり、茅の輪が
ありました。
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風鈴が風に揺れ、見ているだけで、
とても涼し気。

拝殿にて参拝。
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日本武尊が東夷征伐にあたり、
当社付近に立ち寄った際に天照大御神を
祀り、戦勝祈願をしたのが創始と伝わる古社。
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江戸時代の火災のために、社殿が焼失。
それに伴い、古記録等もなくなってしまいますが、
昭和9年(1934)には総檜づくりの拝殿が
建立されました。
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こうして見ると、風格と重厚感が伝わってきます。

続いて、拝殿から少し離れた右手にある
鳥船神社へ行きました。
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鳥船神社の御祭神は
鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)
別称:天鳥船神(あめのとりふねのかみ)です。

瓊瓊杵尊が天照大神の命を受けて、
天降る際に乗っていた船が天鳥船と
言われています。
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天上と地上を行き来できる神ということから、
航空の神と崇められています。
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所沢に飛行場が出来て、日本で初めて
動力飛行を成功させた、徳川好敏
(徳川御三卿の清水徳川家第8代当主であり
陸軍軍人)の功績があった時(明治44年:1911)
から100年を記念して建立された神社ですが、
日本初飛行に挑む徳川好敏が、前日に
所澤神明社にて成功を祈願し、見事成しえた
ことから、当社の境内に建立されたのでしょう。

参拝を終えたので、社務所へ行って
所澤神明社と鳥船神社の御朱印をお願いしました。
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鳥船神社の御朱印をお願いすると、願い事を書いて
奉納するための折り紙を頂きました。
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この折り紙で鶴を折ります。

鶴は空を飛ぶということで、
神様の所まで飛んで行って
願い事を伝えるということでしょうかね。

思い出して折り紙を折って行くのですが、
途中で分からなくなり、社務所の前で
困っていたら、神職の方が、
「良かったら、これを参考にしてください」と
折り方をコピーしたものを貸してくださいました。
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おお~ありがたい!!と
見ながら折って、やっと鶴が完成しました。
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出来た鶴はお社の前に結ぶ場所があるので、
そこに納めました。
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帰る際に、参道に石碑があるのに気づいて
見てみたら、富士講の石碑でした。
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所沢地区の富士講ということで、
○にとと表記されてました。
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境内に富士塚は無いようで残念ですが、
こうして富士講の記念碑が残っているのは
富士塚ファンとしては嬉しいですね。
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これで今回の所沢神社巡りは終了です。




# by yagiou17 | 2019-01-11 23:00 | 埼玉県 | Comments(0)

荒幡富士と浅間神社

いよいよ荒幡富士を見に行きます。
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まずは、下山口駅まで戻りました(^_^)
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駅を出て左手に案内板がありました。
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案内板のとおりに歩いていると、
ちゃんと番号順に道標に辿り着いて
るので、ホッとしました(^_^)
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橋を渡り、案内通りに道なりに
進んでいたら、浅間神社に到着しました。
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そしてやっと見れました。
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赤い屋根のお社と富士塚の2ショット!!
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感激です♪( ´θ`)ノ
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富士塚に登りたいですが、逸る気持ちを
抑えて、まずは拝殿にて参拝。

拝殿をぐるっと右手に回り込む。
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左手に本殿を目にしつつ、
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正面には富士塚の登山口がっ!!!
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早速登ります。
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登ってすぐ、猿田彦を祀るお社がありました。
(左手前には天鈿女の石碑があるのが印象的)
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お社前には随身ですかね。カッコいいです。
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ドンドン登って行きます。
(松尾大社の石碑がありました)
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登山道は見てのとおりとても綺麗に
整備されていて、素晴らしいです。
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ちょっと上からお社を見ると、
何だか赤備えというか、屋根が
なんだか鎧のようにカッコよく見えました。
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ここまで登ってもまだ見上げるくらいあります。
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参拝者が小さく見えますね。
結構な高さが感じられます。
繁茂する樹々の葉がイキイキと
見えるのも好きです。
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もうすぐ頂上。
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着きました!!!
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頂上からの眺め。
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頂上からはこの案内板のように山々が
見れるのでしょうけど、
森は確認できませんでした(^_^;)

しばらく頂上の景色を楽しんだ後は、
下山して、ぐるっと回って見ました。
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周りを歩いて見ることで、改めて
高さ、大きさを実感しました。
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高さが120メートル近くある
荒幡富士は氏子・信者はもちろん
のこと、近隣の住民の協力もあり、
(のべ1万人!!)
15年の歳月を経て築かれました。
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機械もなく、全て手作業での
土運びだったそうです。
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凄い情熱ですね。

再び拝殿に戻ってきました。
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浅間神社自体の創始は不明ですが、
旧荒幡村にあった浅間神社の他、
三島・氷川・神明・松尾の各社が
祀られていたのですが、明治政府の
社格制定および、一村一社の制定に
より、浅間神社に他の神社を合祀
することとなりました。
明治14年(1881)のことです。
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その3年後に富士塚の
移築・増築が始まり、
15年の歳月を経て荒幡富士が
築かれたのは先に伝えたとおりです。
明治32年(1899)のことです。
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築かれて100年以上経った
荒幡富士ですが、これからも
綺麗で登りやすい富士塚であって
欲しいです。
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御朱印は中氷川神社にて。




# by yagiou17 | 2019-01-08 23:10 | 埼玉県 | Comments(0)

中氷川神社 山口氏から崇敬された所沢の古社

ネットで富士塚の事を調べていたら、
赤い屋根の社の左手奥に社よりも
高く土を盛られて作られた富士塚が
ある画像を発見。

その風景が実に良くって、実際に
見てみたい!と思ったけど、
どこの神社かわかりませんでした。

そこで富士塚の事なら有坂さん!だと
画像を見てもらって、どこの神社か
わかりますか?って質問したら、
「所沢の荒幡富士です」と
教えて頂けました。
(さすがです!!)

西武狭山線の下山口から少し歩きますとのこと。

どこの神社か分かったので行くことに
したのですが、せっかく所沢まで
行くのですから、他の神社にも
行きたいなと調べたら、
「中氷川神社」があることがわかったので、
そちらにも行くことにしました。
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と、前置きが長くなりましたが、
下山口駅から、15分程歩いて、
中氷川神社に到着しました。

中氷川神社の「中」ってどういうことかと
言うと、武蔵國一宮である、さいたま市に
ある氷川神社と奥多摩町にある
奥氷川神社の中間に鎮座していることから、
中氷川神社と呼ばれるようになったそうです。
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(看板に武蔵國三氷川中乃社~と
あるのはそのことから)
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参道を進んで行きます。

境内は砂利が綺麗に均されていて、
広々とした印象。
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針葉樹が真っすぐに大きく伸びている
姿が何本かあり、神社全体の高さが
強調されてるように感じました。
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ふと、右手を見ると鳥居がありました。
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大通り沿いに鳥居が見えたので、
そのまま来ちゃいましたが、
どうやらこちらが表参道のようです。

手水舎は大きな岩をくり抜き、外観は
ゴツゴツと自然な状態を残したデザイン。
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拝殿へ向けて石段を登ります。
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拝殿前は左右に長く広がっていて、
境内社がいくつかありました。
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拝殿にて参拝。
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社務所へ行くために下りようと
しましたが、なかなかの高さから
見える風景の良さから、
しばらく眺めてみました。
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下りてく途中、左手に古めかしく、
それが何だか神々しく見えるお社が
あったので行って見ると、
金刀比羅神社でした。
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(後で知りましたが、こちらは
当社の旧本殿だったものだとか)
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社務所にて御朱印をお願いしようと
したのですが、

窓に4種類の御朱印が掲示されている
のを見てビックリ!!
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浅間神社は社務所も無い無人の
神社だから、御朱印は無いと思って
いたから、嬉しかった(^_^)

という訳で、中氷川神社はもちろん
のこと、浅間神社と金刀比羅神社の
御朱印も書いて頂きました。
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(天満天神社は今回行くには時間が
無く、行かないのに御朱印だけ頂くのは
やだなと思いやめました。
浅間神社は参拝前で心苦しいですが、
この後行くのだからとお願いしちゃいました)
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浅間神社に向かうにあたって、
もと来た道を戻るのですが、その途中に
山口城址の石碑がありました。
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城主の山口氏も中氷川神社を大変崇敬
していたようで、本殿造営をしたほどです。
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山口城は平安時代末期に築城されたと
伝わってるので、その時には当社があった
ことが伺えますが、それもそのはず。
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崇神天皇の御代に創始と伝わっている古社ですから。
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山口城は天正18年(1590)小田原の役で
廃城となったと伝わってますが、
中氷川神社は今も人々から尊崇され続けています。




# by yagiou17 | 2019-01-03 17:50 | 埼玉県 | Comments(0)

白山~鶯谷 言問い通り歴史散策

神社仏閣巡りをしてると、急いでイロイロと
見て回りたいため、取りこぼしが結構
あったりします。

中でも気になっていたのが、白山神社に
ある、孫文の石碑です。

アジサイと富士塚に夢中で全く気付かなかった森(笑)
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実際にあるかどうか確かめに行きました。

鳥居を潜って境内の左手に石碑がありました。
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が、そこには孫文先生座石とありました。

座石ってどういうこと?と思ったら、
レリーフの土台となってる黒い石が座石で、
この石に亡命中の孫文と、孫文をお世話していた
宮崎滔天(みやざき とうてん:浪曲師であり革命家)
が腰を掛けて、辛亥革命について話していたという。

明治43年(1910年)5月中旬、話をしている際に、
流れ星が現れ、それを見た孫文が革命を心に
誓ったという。
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翌年1911年には「辛亥革命」(民主主義革命)を
成功に導き、君主制から共和制国家として成立
したんですから、そういうことを知ると、
この座石は結構な歴史のターニングポイント
なのではと思いました。

さて、確認が無事に終わったので、次は
言問通り沿いの歴史散策をすることに。

白山から根津に移動。

根津駅から言問通りを道なりに歩いて
鶯谷駅まで向かいます。

その道中に点在する歴史的なものを
見て行きます。

まずは弥生式土器発掘ゆかりの地の
石碑です。
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歩いているとそれらしきものが見えたので
信号を渡って行って見ると、まさにそれでした。
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掲示板等参考にすると、土器自体が
どこで発掘されたか特定できなくなった
ようですが、
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弥生の地で出土したのは確かのようで、
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それにちなんで
弥生式土器・弥生時代と命名されたの
ですから、これまた結構な歴史的な
出来事だと思います。

続いては「千代の富士の銅像」です。

お寺の前に千代の富士像と刻まれた
石碑があり、
え!千代の富士の銅像があるの!?
って気になって中に入って見たら
ありました!
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こちらは玉林寺というお寺で、
菩提寺ということから建てられた
ようです。

最後に谷中霊園にある徳川慶喜の墓を
見に行きます。

谷中霊園には沢山の有名な方のお墓が
あると思いますが、徳川慶喜の墓に
関しては案内板があり、それにそって
歩いて辿り着くことができました。
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確か、神社検定の勉強の中で、
徳川慶喜の墓は神式であるというような
話題があって、徳川家の廟とは
明らかに違う形のお墓の写真を見た時に、
気になって、いつか実際に見てみたいと
思っていて、やっと来た次第。
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正面左側が徳川慶喜のもので、
右側は正室の徳川美賀子のお墓。

朝敵とされていたにも関わらず、
公爵を親授した慶喜が、明治天皇に対する
感謝の意から、仏式でなく神式で
行ったと言われています。
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変わった形のお墓ですが、これは
葺石円墳(ふきいしえんぷん)
呼ばれるもの。

天皇陵の円墳に倣って、
葺石円墳にしたのでしょう。
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今回は行きませんでしたが、
寛永寺も近くにありますし、
言問通りをただ根津駅から鶯谷駅に
向かって道なりに歩くだけで、
十分歴史的なものを楽しめました。

以上で、歴史散策は終わりです。

《おまけ》

前からずっと気になっていた台湾スイーツ
愛玉子(オーギョーチィ)を食べました。

お店は谷中霊園の近くにある
喫茶愛玉子。
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オーギョーチィは台湾にしか自生してない
果実から作られる寒天のようなもの。

でも食感は寒天よりも弾力があり、
レモンの酸味と相まって美味しかった。

でもこれはレモンシロップをかけてるからで、
見た目の黄色さ、味はレモンシロップ効果です(笑)




# by yagiou17 | 2018-12-30 22:55 | 歴史・小ネタ | Comments(0)

御朱印の森へようこそ!御朱印を頂きながら、歴史の勉強をしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
by 森
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