船橋市に住むようになったので、
船橋市内で御朱印を頂けるような
神社はないかと探したところ、
二宮神社を見つけたので行くことに。
JR総武線津田沼駅の北口から二宮神社行の
バスに乗っていくのがセオリーのようですが、
森は家(船橋大神宮あたり)から散歩がてら
(約7キロ)歩いて行くことにしました(笑)
道すがら、庚申塔にいくつか出会えました。
森は庚申塔が好きなので、
こういう偶然の
出会いは嬉しいですね。
成田街道を道なりに進んで、
薬園台駅あたりで右に曲がって、
ひたすら二宮神社に向かって歩きました。
長く平坦な成田街道だったけど、
薬園台からは緩やかに長い坂道が続いて、
なかなかのものでした(^_^;)
坂を上がったとこで、ようやく二宮神社の
鳥居が見えてきました。
笠木がキュっとしなった、両部鳥居がカッコいいです!
鳥居をくぐり、拝殿に向かうのですが、
一旦下りてから、また上がって行くという、
非常に珍しい参道となってました。
途中には水路がありました。
境内にある池と繋がっているとか。
あの水鳥公園のことですかね。
二宮神社と菊田神社と言えば、
どちらも御祭神として、藤原時平が
合祀されてるという繋がりがありますね。
藤原時平の後裔が菊田神社に合祀すると、
二宮神社の鎮座地に移住して、
治承4年(1180)に合祀してます。
石段を上がると、大きくて立派な
拝殿がありました。
どしっとした銅板葺きの屋根に
龍や鳳凰の彫刻が施された向拝が実に見事。
(昭和53年(1978)に船橋市の有形文化財に指定)
参拝後に、社務所にて御朱印をお願いしました。
では、出来上がりまで由緒でも。
嵯峨天皇の勅命により平安初期の
弘仁年間(810~823)に創建されたと
伝えられています。
延喜式の神名帳には、寒川神社とあり、
これが、現在の二宮神社であると
言われています。
ありますが、こちらも神名帳にある寒川神社は
うちであると名乗ってるとのこと。
これは「論社」ということで、
1つの式内社に対して複数の候補が
存在するため、特定が難しく、
どちらが正しいとはっきり言えない
状態なのであります。
と、話が少しそれましたが、
二宮神社という社名は
乾元2年(1303)梵鐘に
「総州二宮社壇」と彫られている
ことから、鎌倉時代には二宮社として
呼ばれるようになったのではと
言われています。
御朱印拝受いたしました。
二宮神社というと、「下総三山の七年祭り」が
有名だということは知っていましたが、
まだ一度もお祭りに行ったことがないです。
室町時代中期の文安2年(1445)
馬加(まくわり)の城主千葉康胤(やすたね)の
奥方が懐妊11ヶ月になっても、
出産の気配がないので、心配した康胤は
二宮神社・子安神社・子守神社・三代王神社
の神職に安産祈願を命じた。
そのかいあってか、その後奥方は見事
男の子を産みました。
康胤はとても喜び、
安産御礼の大祭を斎行したのが、
七年祭りの起源とされてます。
船橋市だけでなく、千葉市・習志野市・八千代市の
神社も集まって行われる大きなお祭りですから、
それは凄い迫力でしょうね。
七年祭りの総社として9社の神社を束ねる
二宮神社ですから、式内社の寒川神社はうちだ!
と名乗ってもおかしくない勢いはありますね。
あと、二宮神社と言えば二の鳥居のそばにある
大銀杏が御神木としてあるのですが、
狛犬の涎掛け?が綺麗で気になって、
御神木の事すっかり忘れてました(^_^;)
おいおい