江戸三十三観音の結願の印を押して頂くべく、
目黒不動・ 瀧泉寺に行こうと思ったのですが、
ふと、「そう言えば、江戸三森もあと1社残ってたな」
と思い出し、秋葉原駅から数分歩いた所にある、
柳森神社へまずは行くことにしました。
ちなみに、
千代田区にある柳森神社
の3社を江戸時代に社名に
「森」の字がある代表的な
3つの神社ということで、
江戸三森と言っています。
秋葉原駅を出て、昭和通りを
岩本町駅方面へ歩るき、和泉橋を
渡ると、何だかわからない石碑が
あったので、取りあえず写真に
撮りました。
☆随分あとになって、この石碑が
国旗掲揚所だということを
こちらの本を読んで知りました。
《歩き旅応援舎さんのイベント参加の際に、
著者の方から購入してサインを頂きました》
橋を渡って最初の十字路を右に曲がり、
道なりに進んで数分で柳森神社に到着しました。
境内は道路から一段下がったところにあります。
石段を下りてすぐ右手には富士塚がありました。
しかしなんだか、境内の隅に押しやられたような
窮屈な感じの富士塚に見えます。
案内板によれば、境内に富士塚が築かれていた
と思われているが、粉々に壊された後に、余った
石を積み上げて、さらに富士講の石碑を設置
して現在の姿となってます。
こういう形でなんとか、
昔ここに富士塚があったんですよって
アピールしているのかなと思いました。
富士講関係石碑群には浅間神社の祠が
ありました!
手水舎で手を洗い、拝殿で参拝しようと
向かうと、狛犬ならぬ、狛タヌキ?が
いるのに気づきました。
鳥居の扁額には福壽神とありました。
鳥居を潜れば、左手にはもう柳森神社の拝殿が
あるのですが、正面にある福壽神のお社が気に
なったので、先に行ってみました。
4匹のおたぬき様にガッチリと守られている
お社は小さいながらも威厳のある姿に見えました。
御祭神として狸の尊像を祀っているという
福壽神は5代将軍綱吉の生母・桂昌院によって、
江戸城内に「福寿稲荷」と称して創建。
八百屋の娘という庶民の出ながら、
3代将軍家光の側室になり、
さらに5代将軍綱吉の生母になった
桂昌院のことを他を抜いて(たぬき)
玉の輿に乗ったお方ということで、
あやかりたいと、大奥の女中達が
崇敬したといいます。
この事から「おたぬきさま」と呼ばれる
ようになりました。
後に旗本・瓦林邸内に遷座となりますが、
明治2年(1869)柳森神社に合祀されました。
福壽神でお参りした後、
柳森神社の拝殿にて参拝。
御朱印は拝殿左手にある社務所にて、
セルフサービスで押すようになってました。
(初穂料は賽銭箱に入れるようになってました)
長禄2年(1458)江戸城の鬼門除として
京都伏見稲荷大明神を勧請し
創建された柳森神社には、
福壽神以外にもいくつかある境内社や
都内では珍しいという御衣黄桜があったりと、
見どころが多い神社です。
力石群は千代田区の有形民俗文化財に指定されている。
帰りに橋の上から柳森神社を見てみました。
周りのビル群の中、神社の一角だけが
江戸情緒を残しているように見えました。