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狛犬繋がりの方からの企画、
塩船観音寺の「つつじまつり」を楽しみつつ、
青梅の町を探索しようというので、参加しました。

当日、JR青梅線河辺駅に集合し、河辺駅から
塩船観音寺行きのバスに乗ります。

(河辺の読みはかわべと思ってましたが、「かべ」でした。。)

十数分程で、バス停に到着。
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看板通りに、8分程行列にくっついて歩いてると、
目の前に山門が見えてきました。
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山門は仁王門でした。
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仁王像は色が剥げて、木肌が見えていますが、
その分、年季を感じます。
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仁王門を越えると、阿弥陀堂がありました。
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菩薩像・仁王像ともに、
鎌倉時代に造られたものと伝わってます。
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そのまま進んでいくと、入山券売場に着きました。
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入山料を払って中へ。
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(入山料はつつじの維持管理のため、費用の一部とされるそうです)
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入ると左手に大きな杉の木が見えました。
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(後で知りましたが、杉の木は両側にあって、
「塩船観音の夫婦杉」と呼ばれてるそうです。
標石に目が行って、全く気付かなかった。。。)
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さらに進むと、本堂への道しるべがありました。
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階段を登った先に、
ずしっと重量感のある茅葺屋根が印象的な
本堂がありました。
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本堂で参拝後、御朱印をと思ったら、行列が出来ていました。
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しかし、メンバーの中で御朱印を集めているGさんと
「僕は書いて欲しいから、通常のものだけでいいですけど、
Gさんはやはり限定ですか?」などと話してるうちに
順番が来て、書いて頂きました。
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御朱印拝受。達筆ですね。
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中央上部に、御本尊である十一面千手観世音菩薩の梵字(キリーク)が
書かれ、その下には山号の大悲山と本堂の圓通閣と書かれています。

大化年間(645~650)に若狭の尼僧・八百比丘尼がこの地に
訪れた際、観音像を安置したのが、開山と伝わっていて、
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塩船と言うのは地名で、天平年間(729~749)
奈良の大仏(東大寺)造立に深くかかわった僧である
行基菩薩が名付けたと言われています。

小丘に囲まれたこの地が船の形に似ていることから、
弘誓の船(ぐぜいのふね)=「仏が衆生を救うため船に乗せて
彼岸に導くこと」になぞらえたのが地名の由来となってます。

こんな海には関わりの無さそうな土地なのに、なぜ塩船かと
思ってましたが、救いの船ということだったんですね。
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境内の案内図を見て、広いなあ~と思っていたら、
当寺は世界文化遺産に登録されている京都の醍醐寺
(真言宗醍醐派)の別格本山だと知りました。

格式の高さに相応しい境内の広さだなと感じました。

そう言えば、今回はつつじまつりで来たのに
まだ全然見ていないことに気づきました。
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他のメンバーが塩船平和観音立像に向かって行っているというので
後を追いかけて行くと、その道すがら、山肌に咲誇るつつじが見えました。
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塩船観音寺の「つつじまつり」を楽しむ_c0361995_22333302.jpg
ああ、なるほどこれかぁーと写真を撮りましたが、
正直、キレイなのか何なのか、初見なので判断できませんでした。
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って事をぼやいていたら、企画者のAさんが、
「1.2週間来るのが遅かったみたい」とおっしゃってました。

温暖化のせいで、開花がどんどん早まってるようで、
おまけに今年は夏日の様になったと思ったら、寒くなったりと、
寒暖差が激しいので、その影響もあったかもです。

ぼやきつつも撮りながら歩を進めると、
塩船平和観音立像まで辿り着きました。
塩船観音寺の「つつじまつり」を楽しむ_c0361995_22350240.jpg
高台にある平和観音からの景色は見晴らしがよく、
清々しい気分になりました。
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しばらく眺めていたら、メンバーのTさんが
「富士山が見える」って教えてくれました。

言われたほうを見てみると、確かに富士山が見えました。
塩船観音寺の「つつじまつり」を楽しむ_c0361995_22372971.jpg
神社仏閣に行って、富士見ポイントに行っても中々
富士山を見ることがなかったですが、
今回はバッチリ拝めて嬉しくなりました。

この後は、次のバスの時間まで各自思い思いに
ツツジなどの写真を撮って、残りの青梅ツアーを楽しむのでした。

# by yagiou17 | 2023-05-12 22:48 | 東京23区外
狛犬好きのメンバーさん企画、
鶴見の名工、飯島吉六が作った狛犬を
鑑賞するツアーに参加しました。

鶴見駅からバスに乗って何社か巡りましたが、
1社、御朱印を頂けたので、レポートします。

菊名神社は菊名駅から徒歩数分で行ける所にありました。
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_20593317.jpg
黒く、メタリックな鳥居が特徴的です。

鳥居を潜り、境内に入った瞬間、目の前に広がる光景に驚いた。
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21005491.jpg
一瞬、神社じゃなくて、アミューズメントパークに来たような、
気持ちになりました。
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21142827.jpg
授与所やおみくじを引ける所は、お土産屋のようにも見えた(失礼)

とにかく、爽やかでいい雰囲気だな~というのが第一印象です。
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21022301.jpg
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21022385.jpg
狛犬はおかやんといわれる近年作られたタイプ
赤と白の塗装が鮮やか。赤い口の中に白い歯が輝いて見えます。
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21025789.jpg
小さな手水舎には季節の花があしらってました。
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21035233.jpg
その奥に手水舎がありました。
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21035287.jpg
手水舎には「がまんさま」が鎮座しています。
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菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21050552.jpg
寛政年間(1789~1801)に作られたもので、
不平不満も言わずに、手水鉢を下から支え続ける姿は、
耐え続ける尊さを諭しているように見えることから、
「がまんさま」として大切にされてるようです。
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21071620.jpg
手を清めた後、社殿に移動
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21071659.jpg
社殿にて参拝。

参拝後、授与所へ行き、御朱印を書いて頂きました。
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21081598.jpg
季節のもの・限定のものなど5種類くらいありましたが、
森は通常のものをお願いしました。

御朱印を見てわかるとおり、当社は五社を合祀した神社です。
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21090823.jpg
中でも阿府神社は、仁和元年(885)平安時代に創建と古く、
御祭神が武内宿寐彌命という、ちょっと珍しい神社です。
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21171404.jpg
武内宿寐彌が御祭神というと、宇佐神宮に行った時に
境内にあった黒男神社を思い出しました。

御朱印にはがまんさまもいますね。
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21124550.jpg
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21124512.jpg
境内のあちこちにがまんさまがいました。
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21124586.jpg
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21124526.jpg
浅間神社は合祀した神社の1社ですが、ここでも
富士山を模したであろう岩山をがまんさまが
支えていました。

コロナの終焉が見えないご時世、
未だ我慢を強いられる世の中の流れと
がまんさまの姿が奇しくもリンクしてるように
思えますが、いつの世であっても
やけを起こさず、チャンスの時まで耐え忍ぶ
事が大事ということでしょうか。

この後も何社か巡り、最後は出発地点の
鶴見駅まで戻って終了です。
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21174549.jpg
森は今回鶴見は初めてですが、天気に恵まれた
事もあって、とても楽しく散策できました。
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21221051.jpg
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21214098.jpg
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菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21215798.jpg
階段が多くて、高い所から同じ高さに
家が見える風景というのはこの地域独特ですね。

最後に、鶴見狛犬ツアーで一番見てみたいと
思った狛犬をUPして終わりにします。

この背中がボコッと盛り上がった姿が、
妙に生々しく、躍動的に見えてとてもカッコイイです。
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21241584.jpg
菊名神社 がまんさま推しのモダンな神社 _c0361995_21241526.jpg

# by yagiou17 | 2023-05-03 21:30 | 神奈川県
まだまだコロナが治まらないご時世ですが、
マスクの着用など、緩和されたため、
外出する機会が増え始めました。

そんな中、狛犬好きのメンバーさんから
お誘いがあって、江東区の神社巡りに参加しました。

何社か巡った中で、洲崎神社で御朱印を頂けた
ので、レポートすることにします。
洲崎神社 桂昌院ゆかりの神社_c0361995_21015777.jpg
JR両国駅から歩いて巡っていたため、
洲崎神社に到着したのは午後4時頃ですが、
まだ明るく、日が伸びたなと改めて感じた。
洲崎神社 桂昌院ゆかりの神社_c0361995_21120970.jpg
長くまっすぐ伸びる参道を歩きます。
洲崎神社 桂昌院ゆかりの神社_c0361995_21133146.jpg
しばらく進むと、左手に波除碑がありました。

寛政3年(1791)に起こった高波被害を後世に伝え遺すべく
建てられたものですが、経年劣化が激しく、碑文は
上部に残すだけとなってます。
洲崎神社 桂昌院ゆかりの神社_c0361995_21142421.jpg
ちなみに、碑文は屋代弘賢(やしろひろかた)という
右筆(ゆうひつ):主君の文書・記録を執筆する役によるものと
言われていますが、人物も役職も存じ上げてませんでした。。
洲崎神社 桂昌院ゆかりの神社_c0361995_21155945.jpg
洲崎神社 桂昌院ゆかりの神社_c0361995_21154730.jpg
この碑の左手前の津波警告の碑を見ると、
関東大震災、昭和20年の戦災も乗り越えて現存してる
事が伺えます。

更に参道を進むと、
玉の輿たまちゃんが納められたお社がありました。
洲崎神社 桂昌院ゆかりの神社_c0361995_21172966.jpg
ポケモンのキャラクターのように見えるこのマスコットは
桂昌院がモデルのようです!

しかしなんでこんなキャラがいるの?と思ったら、
「当社は1700年に桂昌院が建立したのが始まりです」と
案内板にありました。
洲崎神社 桂昌院ゆかりの神社_c0361995_21172957.jpg
桂昌院は当社創建所縁の方だから、祭られててもおかしくはない。
ただ、それを現代風にアレンジしたセンスが凄いと思いました。

桂昌院の守り本尊である弁財天(弘法大師作と言われている)を
護持院(現護国寺)の隆光大僧正の進言により当地に遷座され、
洲崎弁天社として創建されたのが当社の始まりと伝わっています。


このたまちゃん、よく見ると人参を持っているのに気づきました。

「なんで人参持ってるんだろう?」ってぼやいたら、
メンバーのMさんが「後で、宮司さんに聞いてみよう」というので、
御朱印を頂く際に聞いてみることにしました。
洲崎神社 桂昌院ゆかりの神社_c0361995_21195790.jpg
洲崎神社 桂昌院ゆかりの神社_c0361995_21195015.jpg
拝殿前には前傾姿勢がカッコイイ狛犬がいました。
洲崎神社 桂昌院ゆかりの神社_c0361995_21213450.jpg
拝殿にて参拝。
洲崎神社 桂昌院ゆかりの神社_c0361995_21212740.jpg
当社の神紋は「対波に三鱗」

この神紋と言えば、江島神社が連想されますね。

というわけで、御祭神は市杵島比売命です。

元は洲崎弁天社でしたが、市杵島比売命は弁天様と同一視
されてることから、明治の神仏分離令によって、
御祭神は市杵島比売命となりました。

境内には弁天社があるので、関連ありそうです。

参拝後社務所へ行って、御朱印を書いて頂くよう
お願いしていたら、Mさんが例の質問をすると、宮司さんの
お母様と思われる方が、「やっちゃ場の娘だから」と答えてました。

ああ、なるほど!桂昌院はやっちゃ場=八百屋の娘だから、
野菜を持ってるんだと納得できました。
(しかし、なぜ人参かまではわからず。桂昌院は人参好きだったのだろうか)

拝受した御朱印にはたまちゃんの印がありました。
洲崎神社 桂昌院ゆかりの神社_c0361995_21253460.jpg
玉の輿たまちゃんは令和元年(2019)から
登場したキャラクターとのこと。

御朱印とともに、カード型お守りも頂きましたが、裏面に
ばっちり玉の輿たまちゃんがおりました。
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洲崎神社 桂昌院ゆかりの神社_c0361995_21253413.jpg
桂昌院の守本尊を祀られたお社ということで、代々徳川将軍家の
守護神として崇敬されていましたが、弁天様(市杵島比売命)は
川の神様であることから、海難除けのお社としての信仰が深かったと
思いますが、令和の世からは出世の御利益にあやかりたいという
流れも強くなりそうだなあと思いました。


# by yagiou17 | 2023-04-12 21:32 | 江東区
コロナの猛威で神社仏閣巡りに遠のいておりましたが、
今年になって緩和(諦め?)ムードになってきた
あたりで、久しぶりに出かけたいなと思っていたら、
友人からのお誘いで北千住に行く予定が出来ました。

北千住・神社と検索すると、どうやら千住神社が
代表的なようなので、合流時間はお昼でしたが、
早起きして、午前中にお参りすることにしました。

千住神社はJR北千住駅から徒歩15分くらい。

神社までのアクセスは、公式ホームページが
非常に役立ちました。

案内にそって歩いてる途中で見かけた、
足立成和信用金庫・本店前の松尾芭蕉像。
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奥の細道の矢立て初めの地が、ここ千住ということから
こちらに像があるようです。
チェーンソーだけで作られたとは驚きです。
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ここまでで、神社まで半分くらい来た感じ。

大通りを渡って、しばらく歩くと社標が見えてきました。
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中へ進むと由緒の碑などがありました。
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一の鳥居の横を見ると、縄で囲まれた所があって、
何かと見てみたら、防空壕でした。
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由緒には昭和20年に戦災のため全ての建物が
焼失したとありましたが、
この防空壕はこのまま境内に残ったという
ことでしょうか。
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境内で戦争にかかわる遺物というと、国旗掲揚の石碑を
目にすることがありますが、防空壕は初めてです。
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一の鳥居に戻って先に進みます。
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参道は長く、三の鳥居が遠くに見えます。
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参道の途中に手水舎がありました。
まだ柄杓が使えないですね。
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参道をさらに進むと右手に富士塚がありました。
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登りたいところですが、
山開きの日のみ登拝可能とのことでした。
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案内板にもあるように、宿場町として栄えた土地柄か、
多くの富士講があったそうです。
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その名残でしょうか、富士塚にはいろいろな
富士講の石碑がありました。
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拝殿前の狛犬は親子仲良く見えて微笑ましい。
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毛並みが綺麗で、見ごたえあります。
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拝殿にて参拝。
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当社の御祭神は須佐之男命宇迦之御魂命

何故2柱なのかというと、稲荷神社と氷川神社が
合祀されたという経緯があるからです。

最初に延長4年(926)に伏見稲荷より御分霊を勧請し、
千崎稲荷神社が創建されたのが始まりで、
その後弘安2年(1279)に氷川神社の御分霊を勧請し、氷川神社が創立。

明治6年(1873)に両社を合祀して西森神社となり、
大正4年(1915)に千住神社と改称して現在に至ってます。
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そう言えば、狛犬の前には立派なキツネの像がありましたが、
もしかしたら、稲荷神社の頃の名残りかなと思いました。
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参拝を終えたので、社務所へ向かいます。
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何かの施設も兼ね備えたものか、社務所は大きかったです。
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インターフォンを鳴らし、御朱印をお願いしたのですが、
書ける人が11:30以降にならないと戻ってこないとのことで、
書置きなら対応できますと案内されたのですが、森は直書きに
こだわってるので、それなら時間を改めてまた来ますと、
いったん帰ることにしました。

午後の用事が終わったので、
再び赴き御朱印をお願いしました。

書き終わるまで境内散策。

御神木を見たり、
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千寿七福神の恵比寿天として祀られている
「まわる恵比寿様」をまわしてみたり、
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不屈のイチョウを見たりしました。
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こげ跡が痛々しくも、力強く生き続けるイチョウというと、
飛木稲荷神社のイチョウを思い出しました。

社務所にて御朱印拝受。
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独特の字体、達筆な御朱印を頂けました。

千住にちなんだ、奥の細道の印がアクセントになってます。
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節分に近い時期だからか、福豆も頂きました。
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こちらでは、千寿七福神の恵比寿天の御朱印もありますが、
今回は七福神めぐりをしていないので、頂きませんでした。

千住神社の境内は縦長だけど、広々と感じられ、
とてもゆったりとした空間でした。
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神楽殿ではお雛様が飾られてたりして、季節を感じられました。
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永承6年(1051)源義家が奥州征伐の際に千住神社(二ッ森)に陣営して、
神前にて戦勝祈願したと伝わる歴史深い当社。
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御祭神が須佐之男命ということでか、
清々しい気持ちになり、神社を後にしました。


# by yagiou17 | 2023-02-24 22:45 | 足立区
西船に元日のみ限定で御開帳があり、
秘仏を見れる正延寺というお寺があります。

この事は前から知ってはいたのですが、
なかなか行けずじまいだったけど、ふと思い出して
元日の午後に行ってみました。
元日だけの御開帳と限定御朱印 正延寺_c0361995_22121859.jpg
JR西船橋駅から徒歩10分ほどで到着。

参拝の後、寺務所へ行って、秘仏を見たいと
お願いしたら、副住職さんに案内していただきました。
元日だけの御開帳と限定御朱印 正延寺_c0361995_22024889.jpg
「木造五智如来坐像」は小さくて、
柔和で素朴な表情の坐像でした。

秘仏は元旦の時にしか扉を開ず、
お寺の人も元旦以外は絶対に開けないとのことでした。

*写真撮影はNGです。
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その代わりというか、案内のハガキをいただきました。

正延寺は明治41年(1908)に正覚寺と延命院が合併して
できたお寺で、秘仏は正覚寺の地中から発見されたもの。

ご本尊は大日如来となりますが、大日如来というと、
忍者がやるような印である「智拳印」を結んだものが印象的ですが、
当寺のご本尊はお腹の前で左の手のひらを右の手のひらの上にのせる
法界定印(ほっかいじょういん)です。

副住職曰く、真言宗のお寺で、智拳印ではない大日如来を
ご本尊としてるのは珍しいのだそうです

ちなみに、智拳印は知恵を司る金剛界
法界定印は慈悲を司る胎蔵界となってます。

と、そんな印の区別の話をしていたら、真言宗には
よく、智山派と豊山派って言葉を聞きますがと言ったら、
簡単に説明していただけました。

弘法大師空海によって大きくなった真言宗ですが、
高野山から紀州の根来寺にて、その勢いが引き継がれて
いましたが、それを良しとしない豊臣秀吉によって
根来寺が攻められます。

その後、難を逃れた僧らによって、
京都では智積院(ちしゃくいん)
奈良には長谷寺ができました。

2つのお寺はそれぞれの派の総本山となり、
智積院は智山派の総本山(院名が由来)で、
長谷寺は豊山派の総本山(山号の豊山が由来)
として脈々と続いています。
元日だけの御開帳と限定御朱印 正延寺_c0361995_22113060.jpg
(正延寺は豊山派です)

他にもいろいろと質問しましたが、ご親切にも
丁寧に副住職から教えていただけました。

そういえば、お寺に入る前に掲示板に正月限定の
御朱印があるのに気づき、それについて聞いたら、
正月限定の御朱印は三が日くらいまでかと思ったら、
1月いっぱいまでだそうで、直書きにこだわる森は、
直接書いてくださいますか?
と聞いたら、書きますとのことなので、日を改めて
参拝することにしました。

と、前置きが長くなりましたが、
後日再び正延寺に行きました。
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本堂にて参拝後、右手にある寺務所へ。

今回も副住職が来て対応してくれました。
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寺務所内には、通常のご本尊の御朱印はもちろん、
境内社の折戸弁才天の御朱印もあるってことを知りました。
元日だけの御開帳と限定御朱印 正延寺_c0361995_22190731.jpg
限定の御朱印に至っては、4月限定の釈迦如来の
御朱印もあるという。。。
元日だけの御開帳と限定御朱印 正延寺_c0361995_22191269.jpg
とりあえず、今回は正月限定御朱印、ご本尊、
折戸弁才天の3つをお願いしました。

すると、副住職から一文字写経という紙を渡されました。
元日だけの御開帳と限定御朱印 正延寺_c0361995_22194184.jpg
御朱印は納経の証として授けるものだったから
ということから、写経まるまるは大変なので、
般若心経の中から好きな文字を1つ選んで、
願い事も書き添えて欲しいとのこと。
元日だけの御開帳と限定御朱印 正延寺_c0361995_22204448.jpg
本来はそうであったはずですが、最近は
参拝記念の証のようになっている中、
原点回帰といいますか、御朱印をいただくことが、
よりありがたい感じがして、一文字と負担も軽いし、
いいなって思いました。

森は今回3つ書いて頂くので、3枚渡されました。

書き終えて渡すと、
納経いたしますと受け取ってくださいました。

出来上がった御朱印はこちら!
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限定の御朱印
正月限定の朱色の文字が眩しいです(笑)

ご本尊の御朱印

お気づきでしょうか。右上の文字、
奉拝と書かれるのがほとんどと思われますが、
当寺では「奉納経」なんです!!
元日だけの御開帳と限定御朱印 正延寺_c0361995_22214296.jpg
一文字でも納経は納経。

こうして納経の証としての文字を
書いていただけたのを見ると、いつもの
御朱印よりも、ちょっと感慨深く思えちゃいます(^^♪

この後、ブログのためってことで、
本堂内の撮影をしたいとお願いしたら、
快諾してくださいました。
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寺務所から上がって、本堂へ向かう際、
塗香のススメというものに目が行きました。
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「せっかくなので、塗香をしてからお入りください」
と副住職から言われたので、見よう見まねでやってみてから
本堂内に行きました。
元日だけの御開帳と限定御朱印 正延寺_c0361995_22244316.jpg
(こんなことも、やるのとやらないのとでは
差があるような気がします)
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本堂内に入ると、副住職がろうそくに火をともしてくださいました。
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この扉の向こうに秘仏の「木造五智如来坐像」があります。
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元日だけの御開帳と限定御朱印 正延寺_c0361995_22290058.jpg
壁に掛かっている十王図が気になって眺めていると、
副住職から、「閻魔大王だけ顔が赤いんですよ」と
教えてもらいました。
元日だけの御開帳と限定御朱印 正延寺_c0361995_22290006.jpg
あ、確かに閻魔大王だけ顔が赤いってことに気づきました。

なんでも、怒ってるから顔が赤いということのようですが(笑)

閻魔大王は儒教や仏教の影響を受けているので、
諸説紛々のようです。

ネットで調べると、閻魔大王も裁かれる側で、
一日に3回煮えた銅を飲まされるそうで、その苦痛に
耐えるため、顔が赤くなってるとか。。><

最後に副住職が、
こんなご時世なのでマスクを外すのは
良くないけど、マスクを外して、
お寺の香りを感じてみてくださいと
寺務所へ戻られました。

一人になった森はマスクを外してみました。

お線香の香りというか、独特の香りが感じられました。

「あぁ、お寺ってこういう香りするよな」って
なんだか、記憶がぶお~んと蘇った気がしました。

なんとなくいい気分になった時、副住職の粋な
演出だな。なんて思っちゃいました。

帰り際、改めて副住職にお礼のご挨拶した後、
ブログのために境内の撮影をすることに。
元日だけの御開帳と限定御朱印 正延寺_c0361995_22331899.jpg
本堂左手前にはお砂踏み参拝所があります。
これだけで、四国八十八ヵ所巡ったことになるんだから
ありがたいです。
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(柱の下にはちゃんとそのお寺の砂が埋まってるそうです。
いつか歩いて八十八ヵ所巡りたいと副住職が語ってたのが
印象に残りました)
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その裏手には折戸弁才天のお社があります。
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「この辺一帯は折戸と呼ばれてたんですよ」と
副住職から聞きました。
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折戸という地名は全国にあるらしく、
海と山の境目に付けられる地名なんだそうです。
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船橋市民ならわかると思いますが、国道14号線より
南側は昔、海だったので、それを思えば西船の
この地を折戸と言っても不思議ではないなと思いました。

ただ、船橋市民の森ですが、
折戸って地名があったってのは
初めて聞きました。

そこから派生して、静岡県の折戸ではナスが有名で、
一富士二鷹三茄子の茄子は、折戸のナスのこと
っていうのも副住職から聞きました。

ちょっと調べてみたら、丸っこい形で、
折戸の土地でしかできないらしいとのことで、
縁起担ぎにちょっと食べてみたくなりました^^

コロナ渦の中、直書きにこだわる森は、以前よりも神社仏閣に
行くことも減り、ブログの更新もえらいあいちゃいましたが、
こうして直書きをしてくださる神社仏閣もあるので、
相変わらずですが、マイペースでやっていこうと思います。

P・S 4月になったら限定の御朱印(釈迦如)の
ためにまた参拝に行こうかなと考えてます(^^♪

# by yagiou17 | 2022-02-05 22:46 | 千葉県

御朱印の森へようこそ!御朱印を頂きながら、歴史の勉強をしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。


by 森