人気ブログランキング | 話題のタグを見る
飲み仲間の方から、初日の出を見に行こう!
と誘われ、4人で車に乗って、茨城県の
大洗磯前神社へ行くことになりました。

行った日は1/3。

「元旦じゃないから、初日の出じゃないじゃん」と
森がぼやいたら、
「その年に初めて見る日の出が初日の出じゃん」と
Mみさんに言われ、そうかと納得した。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_22594741.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_22594605.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_22594657.jpg
と、そんな年明け3日目ですが、日の出スポットである
「神磯の鳥居」前には、日の出を見ようと沢山の
人が集まってました。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_22594760.jpg
徐々に太陽が昇り始め、うっすら明る
くなってきました。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_22594613.jpg
海面から、ひょっこり顔を出す日の出とはなりませんでしたが、
これはこれで、なんだか有り難い気持ちになりました。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23010110.jpg
時間もたって、ぴーかんに晴れ渡った神磯の鳥居。

日の出を見た後は、参拝しに行きました。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23015303.jpg
大きな一の鳥居。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23041732.jpg
全体を上手く撮れる場所を
探してるうちに、ガルパンのステッカーが
貼ってあるのに気づきました。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23022534.jpg
ガルパンは「ガールズアンドパンツァー」の略で、
戦車での模擬戦を武道として競い合う、女子高生たちの物語
なんですが、森はまだ一度も見たことないですが、
これを見ただけで、あーっホントに大洗はガルパンの町
なんだなあと気づかされました。

さて、先に進むと二の鳥居がありました。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23052229.jpg
こちらも大きくて立派なものです。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23052249.jpg
扁額の文字は一・二同じく、
二品親王熾仁書とありますが、
これは有栖川宮 熾仁親王(たるひとしんのう)
揮毫によるもの。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23064433.jpg
目の前の長い石段を登ります。

と、石段の前には海風の影響か、風化した
狛犬がいました。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23075914.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23080004.jpg
まだまだ現役で活躍中です。

途中で振り返って見ました。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23095348.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23243227.jpg
神磯の鳥居は目の前の大洗海岸の右手あたりにあります。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23104314.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23104307.jpg
三が日ということで、出店がありました。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23122352.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23122379.jpg
出店で見づらくなっちゃってますが、
備前焼の狛犬がカッコよくて、出来るだけ近くで
見ました。

神門を越えると、拝殿があり、その前には
茅の輪がありました。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23131421.jpg
紙垂の代わりに、人型がつけられてるのは、
初めて見たかもです。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23141515.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23141562.jpg
参拝します。

参拝後、社務所に行って御朱印をお願いしました。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23152481.jpg
オリジナルの御朱印帳もあり、
日の出の限定御朱印帳もありました。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23162695.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23162651.jpg
御朱印拝受。

初詣の判は嬉しいですね。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23171010.jpg
あと、クリアファイルも付いてきました。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23174276.jpg
これまた嬉しい。

この後は、境内散策。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23184748.jpg
拝殿前には大きなガルパン絵馬があったり、
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23184780.jpg
「無事に帰る」の願いのこもったカエル像があったり。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23184770.jpg
海の近くに鎮座しているからか、干支の丑のまわりに
波が描かれてます。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23205744.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23205754.jpg
本殿は茅葺屋根。綺麗に刈り揃えられた屋根は
いつ見てもいいですね。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23205788.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23205798.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23215592.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23215514.jpg
境内社がいくつかありました。

ぐるっとまわると、社務所の所に戻って来ました。

授与所の側面にはガルパンの声優さんたちの
絵馬が飾られてました。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23224543.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23224535.jpg
ファンの人ならすぐにキャラと声が一致してわかるんでしょうね。

参拝を終えた帰り際、随身門の前に
大黒様と恵比寿様の木像があるのに気づきました。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23253965.jpg
当社の御祭神は
大己貴命(大黒様)と少彦名命(恵比寿様)の二柱。

六国史の一つである、「日本文徳天皇実録」に
当社の縁起について書かれているという。

斉衡3年(856)12月29日の夜に、大洗の海が光輝き、
翌朝、海辺に2つの大きな石があったという。

その石の力か、里の老人に神がかり、
「我は大己貴命、少彦名命である。
國を造り終え、東海へ去ったが、民を守るべく
再び帰って来た」という宣託があった。

二柱が降り立った地が、神磯の鳥居がある
大洗海岸であり、二柱を祀るために建てられたのが、
当社である。

大己貴命が御祭神の神社と言えば、島根県にある
出雲大社が思い浮かびますが、関東にも現れて、
こうして祀られていたっていうのは、当社を機に
知りました。
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23253951.jpg
というわけで、大福をいただきたく、たくさん
撫でさせていただきました
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23293741.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23293636.jpg
この後は朝早く、ろくに食べていなかったこともあって、
めんたいパークで軽く食べたり、
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23294717.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23294837.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23293654.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23293788.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23294884.jpg
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23294772.jpg
大洗駅に寄って、ガルパンパネルをバシバシ撮ったりと、
大洗磯前神社 初日の出とガルパン_c0361995_23294890.jpg
にわかガルパンファンと化してました104.png

# by yagiou17 | 2021-04-20 23:40 | 茨城県
狛犬繋がりメンバーさんからの
「東急1日乗車券で行く多摩川周辺巡り」という
企画があったので参加しました。

東急大井町駅で東急1日乗車券を購入し、
集合場所の等々力駅へ。

この日はあいにくの小雨でしたが、
合計3名という少人数でのフットワークの軽い
神社仏閣巡りとなりました。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21112611.jpg
神社仏閣だけでなく、古墳も見に行ったりした
後、等々力駅へ戻って、そこから目黒通りに
沿って歩くこと10分程で、玉川神社に到着しました。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21121022.jpg
石段を登ると、胸をドンっと突き出した、
ムキムキな狛犬がいました。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21132394.jpg
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21132327.jpg
阿吽逆に配置されてたのが印象的だった。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21163499.jpg
吽形の狛犬の右手には変わった形の
大木がありました。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21163466.jpg
プレートを見て、クスノキだとわかりました。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21163401.jpg
根元のずんぐり感はもちろんのこと、
幹が幾重にも分かれて天に向かって伸びてる
姿は、何とも言えない自然の凄さが伝わってきました。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21163412.jpg
メンバーのY子さんがパワーを受け取ってます。
(森も両手でそっと触れてみました)
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21185346.jpg
拝殿へと歩を進めると、途中
祓戸社があるのに気づきました。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21185308.jpg
お社の大きさに合わせてか、小さな狛犬が
睨みをきかせておりました。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21204204.jpg
祓戸社の近くにいた狛犬はふっくらとして、力強い感じ。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21204294.jpg
子狛も小さいながらも親狛に
負けないくらい元気いっぱいな姿がカッコイイです。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21234516.jpg
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21234531.jpg
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21231396.jpg
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21231308.jpg
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21231322.jpg
境内には獅子山(当社では石獅子と紹介されてた)
もあったりと、当社に狛犬がいっぱいいることは、
狛犬好きな人たちでは有名らしいです。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21185378.jpg
関東大震災による被害があったりしたけど、
昭和15年(1940)に再建された拝殿。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21251536.jpg
屋根は銅板葺きでしょうか、柱の明るめの色合いと
同じようで、統一感のある、ピシッと
引き締まった、カッコイイ拝殿です。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21261704.jpg
参拝後、社務所へ行って御朱印をお願いしました。

御朱印拝受。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21261215.jpg
御朱印の文字は判で押されたものでしたが、
この文字は扁額と同じデザインなのでした。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21270605.jpg
社号の玉川神社からだと、八幡神社系なのか、
何なのかわかりませんが、由緒を見ると
熊野神社だということがわかりました。

文亀年間(1501~1504)に世田谷城主の
吉良頼康が勧請したと伝わってます。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21293294.jpg
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21293227.jpg
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21293248.jpg
境内の狛犬を撮っている間に、
大きな石碑があるのが気になりました。

こちらは玉川村の村長である豊田正治氏の石碑
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21313736.jpg
旧玉川村を住みよい町にするため、
玉川全円耕地整理組合の組合長になって、
耕地整理の大事業を始めた方。

こちらは、耕地整理の技術担当者だった
高屋直弘氏の石碑
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21313826.jpg
村長の方が、町づくりの功績を称えて石碑として
残るというのは、なかなかあるものではないと
思うので、貢献度の凄さを感じます。

帰りは長く伸びる道路が気になって、
脇の参道から行くことに。
玉川神社 沢山の狛犬とクスノキ_c0361995_21313865.jpg
左手の別当寺である満願寺の
広い墓地を横目で見ながら、
次の目的地に向かいました。

# by yagiou17 | 2021-04-14 21:40 | 世田谷区
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18333476.jpg
狛犬繋がりのメンバーさん達との
江ノ島散策では江島神社参拝はもちろん、
生シラス丼を食べたり、
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18341928.jpg
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18341868.jpg
岩屋洞窟にも行ったりと、
ぐるっと満喫した後、
コースの最後として、龍口寺に
行くことに。

しかし、夕方からの大船へ移動しての
メンバーさん達との懇親会が控えてい
るため、ちょっと急ぎ目のスケジュールと
なりました(^_^;)

江ノ島バス停からバスに乗って、
龍口寺バス停に到着。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18351547.jpg
少し歩くともう、仁王門前でした。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18382287.jpg
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18382243.jpg
仁王門を越えると、山門がありました。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18382119.jpg
彫刻が細かくて綺麗です。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18382139.jpg
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18382148.jpg
中国の故事を表したものもありましたが、
ちゃんと故事のことを知っていれば、
もっと楽しめると思ってはいても、
勉強忘れちゃってます。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18382246.jpg
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18382143.jpg
山門を越えると、右手に金色がまぶしい、
ひげ題目の石像がありました。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18395120.jpg
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18395135.jpg
目の前には大本堂が見えますが、
その手前左手に、日蓮聖人が幽閉された
土牢がありました。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18420352.jpg
『立正安国論』を著し、幕府に奏上した
日蓮聖人でしたが、幕府側は政策への中傷で
あるとして、文永8年(1272)9月12日に
日蓮聖人は捕らえられ、土牢に入れられます。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18420375.jpg
翌13日、子丑の刻(午前2時前後)に
土牢から引き出され、斬首となるその刹那、
江島の方より大きな光が飛んできて、
首を斬ろうとした役人の目をくらませた。

それに畏れ慄いた役人は刑を続けることが
できず中止となり、日蓮聖人は助かったという。

この事件は「龍ノ口法難」と言われています。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18420364.jpg
そんな奇跡的なエピソードのあったこの場に
弟子の日法聖人が、延元2年(1337)
自作の日蓮聖人像と、
敷皮石(刑場で座らされてた平らな石)を
安置するために一堂を建てたのが、
龍口寺の始まりだと伝わってます。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18420345.jpg
大本堂は欅造り銅版葺。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18434268.jpg
堂々たる佇まいが伝わってきます。

参拝します。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18454311.jpg
御朱印(御首題)は大本堂入って右手に
授与所があり、そちらで書いていただきました。

御首題拝受
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18462074.jpg
この後は、出来る限り境内を散策することに。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_19014598.jpg
大本堂左手奥へ進むと、長い石段があり、
登ると、身延七面山の七面大明神を勧請し
祀っている、七面堂があったり。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18471341.jpg
(龍の石像がカッコよくて、そっちに
夢中になってて、お堂撮ってなかった。
でもお参りはしてます)

神奈川県内唯一の木製の五重塔を見たり。
(明治43年(1910)建立)
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18510660.jpg
この後は境内を出て、隣にある
龍口明神社へ。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18533954.jpg
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18533914.jpg
実はバス停から最初に見えたのがこの
龍口明神社だったので、気になってました。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18533942.jpg
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18533905.jpg
中には入ることは出来ませんでしたが、狛犬が
いるのが見えて、みんな夢中になって撮影してました。

龍口明神社は藤沢から腰越に遷座されてまして、
そちらの方には以前、参拝に行ったことがあります。
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18563189.jpg

                           
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18533943.jpg
龍口寺 龍ノ口法難ゆかりのお寺_c0361995_18534019.jpg
しかし、こうして残されてる社殿は随分と
手入れがされず、放置されてるように見えますが、
どうしたんでしょうか?

あと、龍口明神社と龍口寺とは別当寺とか
何か繋がりはないのでしょうか?

気になる所ですが、今日はここまで!
懇親会の為、大船に移動です。

メンバーの皆さまお疲れ様でした。

# by yagiou17 | 2021-04-03 19:06 | 神奈川県
狛犬繋がりのメンバーさん達と江ノ島散策を
することになるのですが、江島神社へ行く前に、
オプションとして、小動神社に行く企画がありました。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17230418.jpg
森はまだ一度も行ったことがなかった神社なので、
少し早起きして、早出メンバーさん達と合流して
行くことにしました。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17230475.jpg
江ノ電の腰越駅で待ち合わせ。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17230450.jpg
イラストが可愛くって、撮るのに夢中になった。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17241251.jpg
腰越駅から歩いて5分程行くと、神社前に到着しました。

鳥居を潜って、すぐ左手に鬼子母神が祀られてる
お社があったのが印象的。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17253626.jpg
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17261090.jpg
神社名の小動は「こゆるぎ」と読むんですが、
岬の頂上に風もないのに揺れる美しい松が
あった、その松の木が由来だといいます。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17274810.jpg
前を行くメンバーさん達。
参道は結構長いです。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17274817.jpg
途中に手水舎があり、
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17282676.jpg
さらに進むと、キレイな授与所がありました。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17291017.jpg
石段を登って、鳥居を潜りますが、その先は
拝殿が無く、右手に拝殿がありました。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17295836.jpg
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17295471.jpg
拝殿前にいる狛犬はほっかむりをしてます。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17305756.jpg
毎年初めに、地元の漁師さん達が寄進して
いるんだそうです。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17340276.jpg
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17340274.jpg
向拝の彫刻・木鼻がキレイで、見ごたえあります。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17340373.jpg
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17340221.jpg
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17340211.jpg
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17340252.jpg
拝殿にて参拝。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17340215.jpg
お賽銭箱には四つ目菱の紋があったのですが、
四つ菱というと、武田信玄って思い浮かんだのですが、
こちらの紋は「丸に四つ目菱」という、
佐々木家の家紋となります。

当社は、最近「良い箱作ろう鎌倉幕府」の
語呂合わせで話題になってる1185年(文治年中)に
佐々木盛綱が創建したと伝わってます。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17340348.jpg
盛綱は源頼朝が伊豆配流になったときから
仕えている武将で、祖父の領国、近江の八王子宮から
勧請。後に新田義貞による鎌倉攻めの戦勝祈願、
社殿の再興がありました。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17340379.jpg
拝殿の中の扁額には三神社とありましたが、
これは、御祭神である、

建速須佐之男命
建御名方神
日本武命

の三柱を尊称したもので、
扁額を揮毫したのは、二宮尊徳を登用したことで
有名な、小田原藩主:大久保 忠真(おおくぼ ただざね)
よるものという。

参拝後は境内を散策。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17385341.jpg
拝殿左手に亀の石像があるのが
気になりました。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17385409.jpg
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17385477.jpg
やはり海に近い土地柄か、漁業・航海の神を祀る
お社がありますね。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17385357.jpg
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17400872.jpg
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17385470.jpg
境内左奥には、展望台がありました。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17424161.jpg
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17424108.jpg
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17424224.jpg
案内板によれば、左手に番所が置かれてて、
そこから異国船の渡来を知らせる警備をしていた
そうで、けっこう重要な役割を担っていた場所
だったことがわかりましたが、最初はそうとは
知らず、ただ眺めがイイなあ~なんてのんきに
思ってました。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17423268.jpg
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17423282.jpg
江ノ島が近くに見えました。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17423260.jpg
この後は、授与所へ行って、御朱印を
書いて頂きました。
小動神社 風もないのに揺れる松が地名の由来_c0361995_17423237.jpg
参拝も終わり、これから待ち合わせ場所の
片瀬江ノ島交番前まで歩いて、
改めて、狛犬メンバーさん達と合流して、
江島神社に向かうのでした。

# by yagiou17 | 2021-03-28 17:52 | 神奈川県
田端八幡神社 鶴岡八幡宮より勧請 田端村鎮守_c0361995_14242204.jpg
続けて、東覚寺のお隣にある
田端八幡神社へ行きました。
田端八幡神社 鶴岡八幡宮より勧請 田端村鎮守_c0361995_14253301.jpg
参道はずら~っと真っすぐ長く
伸びていました。

進んでいくと、鳥居の手前が
石橋になっていて、
暗渠なのかなって思ってたら、
そうではなくて、谷田川に
かかっていたものを改修工事の
末に、記念として参道に移築
したのだそうです。
田端八幡神社 鶴岡八幡宮より勧請 田端村鎮守_c0361995_14253289.jpg
右手にはずらりと神輿庫が並んでますね。
田端八幡神社 鶴岡八幡宮より勧請 田端村鎮守_c0361995_14253792.jpg
それだけ町の中心的な神社なのかなって
思えました。
田端八幡神社 鶴岡八幡宮より勧請 田端村鎮守_c0361995_14270410.jpg
更に歩を進めると、参道が2手に分かれていました。

真っすぐ行けば拝殿ですが、右手を
見てみます。
田端八幡神社 鶴岡八幡宮より勧請 田端村鎮守_c0361995_14280819.jpg
登った先には赤い鳥居とお狐様が見えるので、
稲荷社でしょう。

右手には墨石が積み上がっていて、
富士塚のようです。
田端八幡神社 鶴岡八幡宮より勧請 田端村鎮守_c0361995_14280826.jpg
(田端富士と言って、高台にあったものが、
現在の位置に移築されたという)

案内板には田端冨士三峯講が奉祀する
冨士浅間神社と三峰社があって、
毎年2月20日に「冨士講の初拝み」という
祭事が行われてるとありました。

ただ、富士塚の前にあった講碑には、
田端山元講と講名が刻まれてました。

「元」の字がつくのが講の大元だという
ことを聞いたことがあるので、それから
考察すると、田端冨士三峯講は田端山元講の
枝講なのかなと思ったり。
田端八幡神社 鶴岡八幡宮より勧請 田端村鎮守_c0361995_14312702.jpg
そのまま上がって行くと、手水舎がありました。
田端八幡神社 鶴岡八幡宮より勧請 田端村鎮守_c0361995_14312387.jpg
コロナはまだ続く。うーむ。

境内の狛犬は親子共々、鋭い目つきでした。
田端八幡神社 鶴岡八幡宮より勧請 田端村鎮守_c0361995_14324357.jpg
田端八幡神社 鶴岡八幡宮より勧請 田端村鎮守_c0361995_14324767.jpg
拝殿にて参拝。

真新しく見える拝殿は平成5年(1993)に落成したもの。
田端八幡神社 鶴岡八幡宮より勧請 田端村鎮守_c0361995_14340737.jpg
空襲による焼失、さらに平成2年(1990)即位の礼に反対する
左翼過激派の連続放火テロによる焼失があったりと、
由緒を調べると、結構大変な神社だったんだなと気づかされました。

参拝後、御朱印をと思い、拝殿左手の
社務所へ。
田端八幡神社 鶴岡八幡宮より勧請 田端村鎮守_c0361995_14360876.jpg
しかし人の気配がありません。
田端八幡神社 鶴岡八幡宮より勧請 田端村鎮守_c0361995_14360528.jpg
近くまで寄って見ると、御朱印はセルフでした。

記念に押していきます。
田端八幡神社 鶴岡八幡宮より勧請 田端村鎮守_c0361995_14360597.jpg
帰りに再度掲示板を見てみました。

当社は文治5年(1189)源頼朝が
奥州藤原氏征伐より凱旋のおり、
鶴岡八幡宮を勧請してこの地に創建したのが
始まりだとされてます。

隣にあった赤紙仁王像はかつては当社の
参道入り口にあったそうで、明治の神仏分離令で、
現在地に移されたそうです。
田端八幡神社 鶴岡八幡宮より勧請 田端村鎮守_c0361995_14373150.jpg
今でこそ、お寺はお寺、神社は神社と
分かれているのが当たり前な時代に生まれた
森としてはやはり、神社の前に仁王像があるというのは
違和感を感じちゃいますが、こうして
そうだったんだって知ることが最近の楽しみなので、
これはこれで、いい話題です。

最後に江戸名所図会の中では、
田端八幡神社ではなく、
「田畑八幡宮」と記載されてたのが
印象に残りました。

# by yagiou17 | 2021-03-20 15:07 | 北区

御朱印の森へようこそ!御朱印を頂きながら、歴史の勉強をしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。


by 森